amnesia
-26-
(5/14加筆修正)




傷なんか付かない。
だって、聖さまは祐巳を傷付けてなんか、いないから。
だって、祐巳は聖さまに傷付けられてなんか、いないから。

じゃあ…本当に傷付いているのは…誰?






「…祐巳…ちゃん?」

聖さまが、驚いた様な目で祐巳を見ている。

……そう。
祐巳は傷付いてなんかいない。
むしろ、祐巳が傷付けているのかもしれない。
聖さまを、祥子さまを。
気付いていないだけで、蓉子さまや志摩子さんも傷付けてしまっているかもしれない。

いたたまれない。

…もしかしたら、この場に、祐巳は居てはいけないんじゃないだろうか?


「ストップ!」

急に、腕が囚われた。
肩を抱かれていたけれど、まるで『逃がさない』とでも云う様に聖さまが祐巳のもう片方の腕を取っていた。

「聖さま…」
「祐巳ちゃんは『祐巳ちゃん自身』が私や祥子を傷付けてると思ってるでしょ」

真剣な瞳が祐巳を捕えている。
真っ直ぐに見詰められて、居心地が悪くなる。

「…やっぱりね。私の目、見ていられないでしょ。いつも祐巳ちゃんは私の目を真っ直ぐに見てくれるのに、今は見られない…それが証拠」
「…祐巳…」

聖さまの言葉に祥子さまが驚いた目で祐巳を見る。
蓉子さまは、そんな祥子さまに溜息をついた。

「…だから云ったでしょう…祥子…貴方が云っている言葉が、どう働くか…誰に影響を及ぼすか…聖、貴方もね」
「蓉子…」

蓉子さまの言葉に、聖さまがハッとした様に舌打ちをする。

「…迂闊だった」

俯く聖さまに、蓉子さまが微笑む。
そして、祐巳を見た。

「でもね…祐巳ちゃん。今回の事、全てが『祐巳ちゃんのせい』なんて思うのは…ちょっと傲慢ね」
「傲慢…?私がですか?」
「ええ」

そう云いながら蓉子さまが苦笑する。

「でも、そう思えてしまっても、今の状況では仕方が無いのも解るの。こんな風に云い合いしている現場に居れば、誰だって『自分のせい』だって思うものだわ」
「蓉子さま…でも…!」
「『でも』じゃないの。祐巳ちゃんのせいなんかじゃないんだから」

聖さまと祥子さまが何故か苦々しい顔でお互いを見て、それから微苦笑する。
そんな二人を見て、そして優しい蓉子さまの顔を見て…思わず祐巳は俯いてしまった。
だって、いたたまれない。
祐巳のせいじゃない…蓉子さまはそう云って下さる。
でも…どうしてもそれを素直に受け入れられない。

傲慢かもしれない。
ううん、きっと傲慢なんだろう。
でも、祥子さまと聖さまがこんな風にお互いを責め合うのは…

「ダメよ」

蓉子さまの声が、祐巳の思考にさっきの聖さまの様に『ストップ』を掛けた。

「云ったでしょう?祐巳ちゃんがそんな風に考えてはいけないわ。祐巳ちゃんがそんな風に考えたら、聖や祥子の気持ちはどうなるの。そう考えてしまうのは、祐巳ちゃんが」
「蓉子」

聖さまが蓉子さまの名を呼んだ。。
その声に、はっとした様に蓉子さまが聖さまを見た。
聖さまの目は、何故か蓉子さまを責めている気がする。

「それ、違う」
「…え?」

蓉子さまが怪訝な顔をした。
そして次の瞬間、何かを後悔する様な表情になった。

「…失言だったわ」

何?
何がどうしたの?
祐巳は訳が解らない。

置いていかれてしまう…話についていけない。
聖さまと蓉子さまは祐巳とは違う、解らない次元で話をしているような気がしてしまう。

祐巳と聖さまでは、考えられない空気を感じた。

…涙が溢れてくるのは、何故?


「祐巳ちゃん…泣かないで。ごめんなさいね…貴方の気持を無視した訳ではないのよ」
「蓉子…さま?」

訳が解らない。
無視って?
どうして聖さまは蓉子さまに怒っているの?
祐巳に蓉子さまが謝った、その意味も解らない。
何故謝られなければならないの?

「祐巳ちゃん」

聖さまが、祐巳を見た。
まだ、怒っている目で。

「…祐巳ちゃん…ごめんね」

そう云った途端に、聖さまの目が優しく、痛々しいものに変わった。

どうしてそんな目をするんだろう。
…そんな目をさせてしまったのは、祐巳なんだろうか。

「祐巳ちゃんが自分を責めてしまうのは、解ってたんだ。こんな風な場面を見たら、きっと祐巳ちゃんは自分を責めるだろうって」
「…え」
「そう考える事で、更に祐巳ちゃんは自分自身を傷つけてしまった…でも、そんな自分に祐巳ちゃんは気付かない…ううん、気付いているけど、目を逸らしている」

え?
それって…どういう事?

聖さまの目が祐巳からスッと外された。

「解らない?傷付いてないなんて、嘘なんだよ。祐巳ちゃんはね、傷付いてる。…傷付かない訳がないんだから」
「…そうね」

蓉子さまが頷く。
祐巳は、よく解らない。
何故?
だって祐巳は傷付いてなんか…いない。
本当に、傷なんか…

「私や祥子を傷つけてしまった…そう考える方が、自分が痛くないからね…」

自分…祐巳が痛くない…って事?

「祐巳ちゃんは自分では気付かない部分で傷付いてしまってる…いや、傷付いている事はきちんと解ってる。でも、それを認めてしまうと自分が痛いから、見ないフリをしてる。自分が誰かを傷付けてしまっていると思う方が…祐巳ちゃんはきっと楽だから」
「聖さま、それじゃ祐巳が逃げてるみたいじゃないですか?その言葉、取り消して下さい。祐巳は逃げている訳では」
「……私も、聖の云う通りだと思うわ、祥子」
「お姉さままで…!」

祥子さまが蓉子さまを愕然とした表情で見てる。
聖さまは…祐巳を見てる。
祐巳の表情を、その変化を見ている様に感じた。

「祥子…それを祐巳ちゃんにさせてるのは、聖…そして祥子、貴方なのよ」
「待って下さい」

今まで何も云わずに話しを聞いていた志摩子さんが、一歩前に踏み出した。

「私も、祥子さまが云う様に、祐巳さんが逃げているなんて思えません」

真っ直ぐな声。
迷いの無い、澄んだ声が部屋の中に響いた。

「志摩子?」

聖さまが、眉を寄せる。
それでも志摩子さんは真っ直ぐに聖さまを見た。

「お姉さま。何故祐巳さんが逃げているなどと思うんですか?」
「志摩子、私は祐巳ちゃんが逃げているなんて一言も云ってないよ」
「確かに、言葉ではおっしゃっていません…でも」

聖さまが、目を細めて志摩子さんを見ている。
乃梨子ちゃんがハラハラしながら志摩子さんの背中を見ている。

ここにいる、みんなの視線が志摩子さんに集まっていた。

「志摩子…私は、祐巳ちゃんが逃げているなんて、ホントに思ってないよ。でも、祐巳ちゃんが自分ばかりを責めているのは、間違いないでしょう?それは、志摩子にも解っているでしょう?」

聖さまの言葉に、志摩子さんはゆっくりと、頷いた。
志摩子さんの表情は、いつもどおりの…聖さまという『志摩子さんのお姉さま』を信頼している表情で。
そんな志摩子さんを見ていて…思わず、胸が痛くなった。
それは、何故なんだろう。
胸を押さえていた祐巳に視線を向けると、聖さまは物凄く真剣な声で云った。


「このままだと、祐巳ちゃんは本当に自分自身を許せなくなってしまうよ」


その聖さまの言葉に、蓉子さまも頷いた。
祐巳はその言葉の意味が…訳が解らなくて。
解らないままで、祐巳は聖さまを見ていた。
ゆっくりと、聖さまがそんな祐巳に微笑む。
その笑顔は、泣き顔に見えた。
笑って…微笑んでいるのに。

「今日、ここに来て、やっと気付いた。昨日からずっと引っ掛かってた。それが、やっとハッキリ見えた」

何が見えたんだろう。
引っ掛かってたって?

昨日も祐巳は聖さまに云った。
祐巳は傷付いてないって。

…そういえば、そう云った時、聖さまは一瞬顔を曇らせた気がした。

「祐巳ちゃんは『傷付いてない』って、そう云った。傷付いてない訳ないのに、私はそれに一瞬だけ誤魔化された……でも私の中に、それは魚の小骨が喉に引っ掛かった様に、違和感を感じさせてた…微かな痛みと一緒に」

違和感。
祐巳の言葉に感じた違和感って、何?
祐巳には解らない事が、聖さまには解ってる。

そうして祐巳は自分の事なのに解らないんだろう…?

「だけど、やっと解った。祐巳ちゃん自身が、傷付いていた事から目を背けようとしてた事。自惚れだって、思われるかもしれない。でも、祐巳ちゃんは私に傷付けられる事が…傷付けられたと認めてしまう事が恐かったから…私に忘れられた事が悲しかったから…私を、好きだから」

祥子さまが、俯きかけていた顔を弾かれたように上げた。
そして聖さまを見る。

「…え?」
「祐巳ちゃん…貴方は、本当はずっと聖が祐巳ちゃんを忘れてしまった事が悲しくて、辛かったの。悲しくて辛くて…それが解らなくなってしまう位にね…でも、そうする事で祐巳ちゃんは聖の傍に居られたのよ」

いつの間にか傍に来ていた蓉子さまが祐巳の肩に手を掛けた。

「祥子は、それを怒っていたのよね…もっとも、それは祥子自身も気付いていなかったかもしれない、無意識での怒りだったみたいだけれど」
「蓉子さま…」

なんだか、訳が解らない。
難しすぎて、解らない。

「でも、そのままでは歪んでしまう……そのまま放っておいたら、祐巳ちゃんは苦しくなってしまう」

聖さまが、祐巳の目を真っ直ぐに見ている。
思わず逸らしてしまいたくなるほど、その目の力は強い。
でも、それをグッと我慢する。

ここで祐巳が目を逸らしちゃいけないと、そう思ったから。

「祐巳ちゃん」
「…はい」

聖さまの手が、祐巳の目を覆い隠した。
一体、何が?

何故、聖さまは祐巳を目隠しするんだろう?


「…祐巳ちゃん。私が、祐巳ちゃんを忘れてしまった時の事を、今から思い出して…」
「え?」
「思い出して…その時、祐巳ちゃんが何をどう思ったのか、話して」




…to be continued

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amnesia -27-
20050513
(20050514:加筆修正)


『今』を忘れてしまった。
『昔』に戻ってしまった。

けれど私は、私に記憶された『君』がきっかけで『今』を思い出した。


…けれど、私が『今』を忘れた時、君も『何か』に蓋をした。

『今』に帰った私は、君の『何か』を君自身に返さなくてはならない。




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