amnesia
-29-
…私は、ずるい
「…へ?」
「曾祖母の時計ってのは、嘘。だって曾祖母の腕時計なんて、本当だったら大変だよ。学生時代のものなら大正時代や昭和初期だろうし、そんな時代のものなら故障して修理って云ったってもうパーツだって無いか、あっても特注で修理だよ。それこそ、莫大な修理費取られるって。そんな大変なもの、祐巳ちゃんに私があげる訳無いでしょーが」
まるで外国人のようにオーバーアクション身振り手振りで云う私に祐巳ちゃんは完全にあっけに取られたような顔する。
そして、見る見る顔を真っ赤に染めていく。
「聖さま!」
あ、怒った。
「わた、私本当に吃驚して、どうしようかって…!」
「でも、曾祖母の腕時計のレプリカなのは、本当」
ぽろり、と云った私に、祐巳ちゃんはピタリと動きを止めた。
私は微笑んで「本当」ともう一度云った。
「実際は、曾祖母から手渡されたものじゃなくて、大叔母から貰ったんだ。曾祖母が亡くなった後に…もう毀れて、動かないものなのに」
「…動かない時計、なのにですか?」
話に興味をそそられたのか、先程の怒りは何処へやら、祐巳ちゃんは不思議そうな顔で聞いてくる。
私はそれに気付かないふりで頷く。
「そう、動かない時計なのに。遺言だったみたい。そういえば、祐巳ちゃんには云った事、あったかなぁ…私の見て呉れってこんなでしょ?よくハーフでしょ、とか小さい頃とか聞かれたりしたのよ。…どっかのデコチンには貴方アメリカ人?とか云われるし」
「デコチン?」
祐巳ちゃんが首を傾げる。
おっと、いらない事を云ってしまった。
「でもうち、どっちも日本人な顔なんだよね。だから子供心に悩んだね。自分は日本人じゃないのか、とか両親は実の両親じゃないのか、とか。でもね、その頃はまだ存命の曾祖母は私を可愛がってくれたのよ。その内に痴呆で誰の事も解らなくなっちゃったけど…でも私を見ると喜ぶのよ。なんでだろうって不思議だった。謎は大叔母が教えてくれて、初めて解ったんだけどね」
「…謎?」
「そう、謎」
何故私が、こんな見て呉れなのか。
江利子に云ったら妙に納得されたんだっけ。
「父方の何代か前に、モンゴロイドじゃない人がいたんだって」
「…?それって、外国の方が?」
「うん。しかも、その人自身も混血だったらしい。そしてね…曽祖父…曾祖母のダンナさんね。その人の妹と曾祖母は親友だったんだって。その妹って人と私、似ていたみたい」
祐巳ちゃんが目を丸くする。
まさかそういう話だとは思わなかったに違いない。
しかも、この話はもっと意外な方向へ行く。
「曾祖母とその人はリリアンの生徒だったみたいでね。姉妹はロザリオを授受するでしょう?その頃、同級生の親友の間で自分の持ち物を交換し合う事が流行っていたらしくて、曾祖母とその人は腕時計を交換したんだって」
「え?じゃあそのお祖母さまの時計は…」
「うん、曽祖父の妹のものね、多分」
姉妹はロザリオ。
親友は自分の身につけているもの。
…なんだか、意味深だ。
「聖さま…私、何故か今、弓子さんを思い出しました…」
弓子さん。
カトーさんの大家さん。
親友と仲違いして、数十年を過ごしてきた人。
その親友とは、親友が旅立って逝く前に、仲直りが出来たそう。
…その親友とは、祥子の祖母だったという…
「本当に、仲良しだったんでしょうね…」
「うん、そうだね。曾祖母、痴呆になったって云ったよね。でも、私を見ると喜んでたって。私がその人に似てたからみたい」
「…その、お祖父さまの妹さんって方は…」
どうしたのか、なんとなくは解っているんだろう…遠慮がちに聞いてくる。
一度だけ、腕時計を受け取ったときに写真を見せてもらった事があったけれど…それはちょうど高等部くらいの頃で。
若く、学生服の曽祖父と一緒に写っているその人は、今思い出すと背筋に冷たいものが走る程『私』に似ていた。
でも、それ以降は写真が無いのだと、大叔母は云っていた。
「二十歳になる前に、亡くなったそうだよ…流行り病って云ってたから、きっと結核かもしれないね…ちょうど大正から昭和にかけて流行したらしいから」
「…結核って…今なら直る病気ですよね」
「うん。でもその時代はね、不治の白い病って恐れられていたんだ。曾祖母はずっと云ってたみたい。時計を返せなかったって。誰の事も解らないのに、腕時計を見てはそう云ってたらしい」
そこまで云って…私は祐巳ちゃんを見る。
神妙な顔で、私の話を聞いている祐巳ちゃんを。
…ずるい。
私は、こんな話をして。
こんな話を聞けば、気持ちの優しい祐巳ちゃんは…
そうまでして、私は…
居た堪れない気持ちでいっぱいになる。
ごめん…と、謝ってしまいそうになる。
本当に、ごめんね、と。
「…めん…」
え?というような顔で祐巳ちゃんが私を見る。
「聖さま…?」
「…ううん。ねえ祐巳ちゃん。これで、私がこの時計をあげたいか、解ったでしょ。ロザリオを授受なんて事はする気無い。私は祐巳ちゃんと姉妹になりたい訳じゃないからね。でも祐巳ちゃんの『特別』にはね、なりたいんだ」
私の言葉に、祐巳ちゃんがジッと私の瞳を覗き込むようにする。
…祐巳ちゃんなりに、私の言葉の中にある意味を感じ取ろうとでも云うのかもしれない。
「もしかすると、曾祖母と曽祖父の妹って人は、とても好きあっていたのかもしれない…私も、曾祖母たちにあやかってみたいな…なんて、思ったんだ。もし、何か私にあったとしても何年経っても、思い出してもらえる関係になりたいって」
そう云うと、祐巳ちゃんは目を見開いた。
そして見る見るその目に涙が浮かんでいく。
「…莫迦な事…云わないで下さい…!」
ちょっと俯き加減になって、スカートのひざの部分を握りしめる。
涙を堪える時の、クセかもしれない。
「そんな…何かあった、なんて云わないで下さい…」
「例えばの話だよ」
「それでも!そんな例え、しないで下さい…!」
ぱたぱた、とスカートの上に涙が落ちていく。
思わず、ゴメンと呟いてしまう。
泣かせてしまった事と、云っている事と、本来の私の思惑が実は違うという事に。
「でも、本当に…私はその腕時計、祐巳ちゃんに受け取ってほしいんだ…その腕時計をお店に見つけた時、曾祖母とその親友の話と同時に祐巳ちゃんを思い出したんだ。祐巳ちゃんに、持っていてもらいたい…って」
「…私に…」
「うん……重荷に、なるかな…あ、本当にその時計は祐巳ちゃんが思ってるみたいな値が張るものじゃないよ。量産型だからさ……そう、ただ…」
「ただ?」
「ただ、手巻きネジ式だから…一日一回、ネジを巻いてもらわなきゃいけない事がちょっと心苦しいんだ…」
一日一回、ネジを巻かなければ止まってしまうから。
「…本当、ですね?」
「え?」
「私は、聖さまにプレゼントを戴いても、まだ何もお返し出来ませんから…それなのに、私ばかりプレゼントを戴くのは、申し訳ないんです」
「そんな…お返しなんて」
私は思わず目を丸くしてしまった。
そんな事を考えていたのか、と。
「聖さまが、この時計を見た時や、このクマを見た時、私を思い浮かべて下さったと云うなら…私だってそう思う事があるって事です。違いますか?私が聖さまにあれもこれも、とプレゼントしたら…きっと聖さまも今私が思ってる事を同じ様な事、考えると思います」
…確かに。
私が祐巳ちゃんにそう思うと同じように思わないなんて、云い切れない。
それは…私の事を考えてくれているって事だから嬉しい事だけど…
「だから…聖さまが云った事、私は信じていいんですね?」
「うん」
「……解りました」
私はハッとしたように祐巳ちゃんを見た。
祐巳ちゃんはゆっくりと、そしてほんの少し…申し訳なさそうな表情で云った。
「有難う御座います…大切に…大切に、しますから…」
その表情に、私は胸に痛みが走るのを感じた。
すべてが、本当では…無いからだ。
そして、私のエゴが…醜い独占欲が、そこに隠されているから。
私は、その腕時計に込めた自分の浅ましさに唇を噛む。
ネジを巻かなければ、腕時計は止まってしまう。
私はその時間を、奪うのだ。
その時の時間を。
きっと、祐巳ちゃんはこの時計をつけてくれるだろう。
そしてネジを巻いてくれるのだ。
これからの、祐巳ちゃんの時間を、縛るのだ。
私があげた時計が、これからの祐巳ちゃんの時間を支配する。
なんていう傲慢で、甘美なんだろう。
そして、そんな事を考えてしまう自分に嫌悪する。
もしかしたら…その罪悪感も私の時間を戻すのに一役買っていたんじゃないか。
この時計の事を思い出さなかったのにも。
でも。
そう考えてしまうほど…私は祐巳ちゃんが欲しくてたまらないんだろうと思う。
私は、祐巳ちゃんの手首にそれを見るたびに、罪悪感と、そうする事を祐巳ちゃんに許されている事に優越感を感じるのだろう。
記憶を戻してしまうほどの罪悪感と不安、そしてそんな自分をも受け入れようとしてくれる彼女が自分を思ってくれているという、優越感と安心を。
…to be continued
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『amnesia -30-』
20050602