amnesia
-7-






目の前にいる、この子は一体誰?

私は、『私』の声を聞く為に、耳を澄ました。










バスに揺られて、M駅前の停留所に着いた。
時間的に人はまばら。
学生はいるけれど、さすがに会社員はまだいない。
穏やかな午後って感じがする。

…私の心情は、穏やかなんて言葉が全く似つかわしくなかったけれど。

自室があるマンションまでの道程。
歩くのは、二度目。
私は隣を歩く祐巳さんを盗み見る。

ツインテールが、リボンが風に揺れる。
ふわふわと。

私より、『私』を知っている、この子を私は『恐い』と思ってしまった。

立ちくらみを起こした私を、隣にいた蓉子より早く支えた。
その腕の感触を、体の温かさ…柔らかさを、私は『知っている』と思った。
何故、私はそれを知っているのか。
そして、真っ直ぐに私を見ている目。

猫がえさを食む、かりかりという音を聞きながら、戦慄してしまった。

この子の傍にいたら、私は知らないはずの『私』になってしまうのではないか?なんていう莫迦な事を考えてしまっていた。

それを振り払うように猫から離れ、今はマンションへの道を歩いている。

「あ…聖さま、私コンビニに寄って行きますから、先に行っていて下さい」

前方に見えたコンビニの看板に、祐巳さんがそう云って走り出した。
まだ、返事も何もしていないのに。

調子が狂っている。
私は、あの子に振り回されている気がする。

…不快。
そう思った。
けれど、何故かそれを甘んじている自分がいる事に気付いて、背筋に冷たいものが走った。

近くに立っている電柱に肩を預けて体を支えるように立つ。
このまま侵食されて、違うモノに変化してしまうのではないだろうか…

は…っ、そんな莫迦な話があるか。
そもそも、何故私がこんなに動揺しなくてはならない?
私は自分で自分を笑う。
それじゃ何処かの二流のSFだ。
莫迦莫迦しいにも程がある。

でも…その二流小説のように、私の中に変化が起きているのは、火を見るよりも明らかだ。
あの子を恐い…そう思っている時点で。
だけど何故、私があの子を恐がらなくてはならない?

もしあの子が私を私の知らない『私』に出来るというのなら、やってみるがいい。
そんな事は、有り得ないんだから。

私は、私だ。
私は、誰かにどうこうされるような、人間なんかじゃない。
今までも、これからも。


電柱に寄り掛かって立っている私を店から出てきた祐巳さんが見て、慌てたようにやってくる。
「気分が悪いんですか?」と心配そうに顔を覗き込んでくる祐巳さんに、私は「別に」と呟いて電柱からその身を起こした。


負けるもんか。











「お台所、お借りしますから」と云って祐巳さんは私の返事も待たずにキッチンへと向かった。
莫迦みたいに強固に断るのもおかしいか、と私はそのままさせるままにする事に決めて、ベッドがある部屋に行く。
バッグを置いて、深呼吸をし、私はリビングに戻った。

しかし。
よく親は私のひとり暮らしを許可したものだと改めて思った。
しかも、この部屋は結構いい部屋だと思う。
大学一年生の部屋ではない気がするが、そこはあの見栄張りな親、というところなんだろうか。
まぁ、与えられるだけ与えておけばいいという考えなんだろうけれど。

ソファに腰を下ろし、キッチンに立つ祐巳さんを気にしながらもそんな事を考える。
いつからか、親が醜悪に見え、大人が厭なものに見えていた。
それどころか、自分自身さえ、時折この自然の中にとけ込んでしまえたらいいのに…と、そんな風に思うようになっていた。

そう…自然は優しく私を包んでくれる。
癒してくれる。
優しくなんてない私に、優しさをくれる。
無償の愛…というのは、自然界にだけ存在するんじゃないだろうか…そんな風に思えてならなかった。

人間は、つまらない。
人間は、疲れる。

それならいっそ、自然に身を任せて眠れたら…
それが出来たらどんなに幸せだろう。

でも、私は人間で。
自然に溶けてしまうなんて事は、きっと死ななきゃ出来ない。
でも、私の血でこの自然を穢すなんて事もしたくなかった。

だから、私は生きている。
いつか来る、『その日』を夢見て。







「…さま」

誰かが、私を呼んでいる。
沈み込んだ私を、ゆっくりと引き上げてくれるような、声。

私は、この声を知っている。


「聖さま…こんなとこで転寝していたら風邪を引きますよ」
「……ん…」

いつの間にか、眠っていたようだった。
ゆうべは眠りが浅かった。
自分の部屋なのに、知らない部屋。
どうにも落ち着かなかった。
でも、何故だかソファに座っていたら、急に睡魔が襲ってきた。

重いまぶたをなんとか開くと、誰かが私を覗き込んでいて。
そのシルエットが、とてもよく知っている感じがして。
ふんわりと、その子から香ってくる甘い香りも、知っている気がして。


「せ…っ」

温かい。
そして柔らかくて、甘い香り。
私は、この感触をとても気に入っていたはず。
いつでもこの感触を感じていたいと思っていたような気がする。

「…聖、さまっ!」

その、とても近くに聞こえる声に、私は完全に覚醒した。

「……っ!」

ザッと引き離して、私はソファから立ち上がった。

何をした?
今、私はこの子に何をした?
何を、した!?

心臓が、信じられない速さで走り出している。
祐巳さんが茫然と私の足元に座り込んでいた。

喉が焼け付くように渇いていて、声が出ない。
ただ声にならない声を発しながら、唇が動いているだけ。

すると祐巳さんが俯きながら立ち上がった。

「き…のう、何も召し上げっていないので、胃に優しくお粥とか、作ってみました…よかったら食べてください…っ」

そう云うと、祐巳さんはコートと鞄を手に「今日は帰ります」と玄関に走って行った。

「あ…っ」

思わず、引き止めそうになる。

それに気付いて私は伸ばし掛けた手でそのまま前髪をかき上げた。
まただ。
また、手を伸ばそうとしてしまった、自分。
その自分に、更に困惑する。

ばたん、とドアが閉まる音が聞こえて、私は力が抜けるようにソファに体を沈めた。

私は、何をした?
今、何をした?
いくら半覚醒状態だったとはいえ、普通には考えられない事を私はした。
あの子に。
あの、福沢祐巳という子に、だ。

胡散臭さと、嫌悪と、云い知れぬ恐さを感じている、あの子に。

今も残る、甘い香りに眩暈がする。
今も残る、柔らかな感触に背中がざわつく。

何をした?
私は。

困惑したような目を最初向けた。
そして、その目にいっぱいの涙が見る見る浮かんできて、私に背を向けた。

当然だと思う。
もし私が彼女でも、きっと困惑する。

一体、私はどうして…?


私は、私を覗き込んで立っていた祐巳さんの腕を引いて、この腕に抱きしめたのだ。


腕に残る感触に、私はどうにも解らないものを感じていた。
私は自分の腕に残る感触を打ち消す為に、指の後が残りそうな程、強く掴んだ。




玄関の、ドアの直ぐの壁に、背を預けていた祐巳さんが、自分の体を抱きしめるようにしながら、そのまま崩れるようにしゃがみこんで泣いていた事にも気付かずに。




…to be continued

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amnesia -8-


20050228

postscript

私には、解らない事だらけだ。
私は、知らない事だ。

でも、体が知っている。
体が感触を覚えている。

その体が、柔らかくて温かな事を。

その感触を、とても気に入っていた事を。


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