こっち向いて
(聖祐巳)
鏡に、映る、姿
聖さまと、祐巳が映っている、鏡
何気無い日常を映してる、鏡
その鏡が、日常ではない聖さまと祐巳を映している
……非日常なんてものは、案外直ぐ傍にあるものなのかもしれない
「…目、閉じて」
聖さまが、囁いた。
その声は、酷く切なげ。
思わず、従いたくなる程の優しさと、そして強引さを持っている声。
目を閉じれば、次はどうなるのか、祐巳にだって解ってる。
多分、聖さまはゆっくりと唇を重ねてくる。
けれど。
何故だろう。
それに従いたくなかった。
正反対の事をしたくなった。
「…嫌」
思わず掠れてしまった声が拒否していないけれど。
「…何故?」
「…解りません…でも、嫌…」
聖さまの手が、祐巳の額のタオルから外れる。
その手は、祐巳に頬に掛かっている髪を払い、そして置き場を求めて逡巡した後、ゆっくりと祐巳の肩に置かれた。
素肌の肩が、ふわりと温かくなる。
クーラーで少し冷えてきている。
「…そう」
真っ直ぐに祐巳と視線を絡めたまま、聖さまは頷く。
笑みを浮かべるでもない。
不服そうな表情をするでもない。
『表情が無い』と云った方が良い様な表情。
その表情を見ていると、思わず、ごめんなさいと謝りたくなった。
目の端に、鏡が見える。
聖さまと、祐巳を映す鏡。
聖さまの膝に頭を乗せた、バスタオルを巻いたままの、祐巳。
祐巳を見下ろす聖さまが…まるで彫刻の様に美しかった。
それが、悲しかった。
鏡に気付いた時、そこに映っていたのは、紛れも無く、人間の聖さまだったのに。
◆
拒絶じゃない、拒絶。
言葉は拒否していても、声が拒否していない。
そして、『嫌』と云いながら、すがる様な瞳。
…どうしたものかね。
無理強いなんて持っての他。
最低な人間のやる事だ。
でも、この場合はどうなんだろう。
…動けないじゃない。
拒絶と、容認。
これじゃ、動けない。
祐巳ちゃんは、しきりに鏡を気にしている。
…何故だろう。
鏡ではなく、こちらを向かせたい衝動に駆られた。
こっちを、向いて。
簡単に云えたらいいのに。
その一言が、何故か云えない。
いつもなら、そんな事、簡単なのに。
「…聖さま…」
祐巳ちゃんが、おずおずと声を掛けて来る。
「…あの…」
「…何?」
あ、しまった。
少しだけ、声がキツイ。
自分で祐巳ちゃんを拒絶してどうする。
だから私はそっと肩から首筋へと撫でた。
…火照っていた体は、大分冷えてきている。
私の手の動きに励まされたのか、祐巳ちゃんはゆっくりと両腕を上げた。
「…聖さま…」
私の、両頬に当てられる、手。
「…祐巳ちゃん?」
「降りて、きて下さい」
「え?」
頬にそっと当てられた手が、私を引き寄せる。
そんなに強い力ではない。
でも、私は待ち侘びていたその手に引き寄せられる。
拒絶と容認。
ああ、そうか。
与えられるだけでなく、与えたい。
以前、祐巳ちゃんはそう云っていた。
頬に当てた手に導かれるように私は祐巳ちゃんに、一歩、また一歩、と急かされる。
「祐巳、ちゃん」
唇まで、ほんの数センチ。
「…はい…?」
「…目は、閉じてね?」
返事の代わりに唇が重なってきた。
鏡に映った姿を見る。
まるで、ドラマや映画にワンシーンの様に。
でも、まるで他人事のような鏡の世界。
でも、今こうしているのは、現実。
祐巳ちゃんの視線が、鏡へと向う。
それを、ゆっくりとまぶたの上に手を当てて、隠してしまう。
こっちを見て。
鏡だろうと、今は見ないで。
ただ、私だけを。
後書き
執筆日:20040806
…なんか、不発だわ。
「君を待つ」同様に書き直すかな…暇見て。
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