泣きたくなるほど
(聖)



自分の気持に、気付いたその時、私は驚愕した。


だってもう私は、誰も好きにならないと…
いや、誰も好きになれない、そう思っていた。

それなのに、何故、いつの間に…?


ああ…そういえば以前、何かの話の中で云った気がする。

『好きになるのには、それほどの理由はいらないけれどね』と…

あれは、誰に云ったものだったか。
…そう、あれは、多分…



好きになるのには、理由はいらない。

いつの間にか、心の中に入り込んでいるだろうから。

それに、あの子を好きになるきっかけは、たくさんあったから。


「大切なものが出来たら、自分から一歩引きなさい」

外部の大学へ進学したお姉さまが卒業する時に私に云った言葉が、今も私の中に生きている。

…変わらない優しさと、重みを持ったままで。





「祥子や祐巳ちゃんたちはどう?元気?」

どうせちょこちょこ顔合わせているんでしょ、と顔を合わせたのは数か月振りの蓉子の、その何気ない言葉に、私はどんな顔をしたんだろう。

「ああ、うん、元気だよ。相変わらずだし」

ついさっき、ウェイトレスが置いていった、熱いコーヒーを一口飲みながら、軽い調子で答えた。

蓉子はその私の表情の変化に気付いた様だ。
見る見るその表情は私の内部を探る様な、そんな感じのものに変わったから。

『探る』なんて言葉は良いものじゃないけれど。

…そうだ。蓉子に隠すなんて事、出来る筈が無い。

そんな事が出来るなら、私は蓉子に頭が上がらなくなる事も無かった。
あんなに何度も助けられるなんて事も無かっただろう。

蓉子は今、自分の云った言葉の中の、『何』に私が反応したのか、探っている。

「最近祥子に電話とかしてないの?薄情なお姉さまだねぇ」
「薄情とかって、貴方には云われたくない科白だわね…だけど、聖。あの子たちと何かあった?」
「何も無いよ。なんで?」

何も無い。
それは間違いない。
だからサラリと言葉になった。

「それじゃ何故『祐巳ちゃん』って言葉に反応したのかしら」

直球ですか。
しかも剛速球。

思わず私は拍手喝采を蓉子に送りたくなった。
そんな事をすれば、ただじゃ済まないかもしれないけど。

「祐巳ちゃん?何で?」

しかし、そんな事を云ってしまう私も、悪あがきにも程がある。
どうしたって蓉子をはぐらかすなんて事、出来やしない。

解ってる。
解ってるけれど、私はそうせずにいられなかった。

たとえ蓉子にだろうと、今は簡単に気持を暴かれたくはない。

まるで莫迦にでもなったかの様に私はニヤリと笑う。

さあ、どう出てくるのか。
さりげなくコーヒーを飲みながら蓉子の出方を待つ。

すると蓉子はジッと私を見ていたかと思うと、ふいに目を逸らし、軽く息を吐き出した。
溜息とは違う、本当に軽いもの。
ただの吐息。

「…いいえ、いいわ。所で話は変わるけど、この間偶然江利子に逢ったんだけど…」


…拍子抜けってのはこんな感じかもしれない。

余程私は身構えていたのか、話が変わった事に全身の力が抜ける様な感覚に襲われた。

反面、何故それ以上突っ込んで来ないのか、不思議に思いながら江利子と山辺氏の話をする蓉子の顔を見ていた私は、相当な天の邪鬼なのかもしれない。





今度、江利子も含めた3人で逢おうという話になって、蓉子がレシートを手に立ち上がった。

「ここは、私が」
「へ?なんで」
「その代わり…聖、貴方車でしょ?送ってよね、家まで」




車に乗り込んでからの蓉子はあまり話さず、遠慮がちに流れている洋楽中心のFMのパーソナリティーの軽快な喋りと音楽だけが、その沈黙を埋めていた。

もう少し…あと2つ、曲がり角を曲がれば蓉子の家に着く、そんな時、ふいに名を呼ばれてチラリと蓉子に目線を向ける。

「何?」
「…リリアンの頃の様に、頻繁に顔を合わすなんて事は無理だし、全然目も届かないから、私には貴方の中でどんな変化が起こったのか、解らないけど。でも、話を聞く位は出来るわよ」
「…蓉子?」
「あ、ここでいいわ。有難う」

曲がり角あと1つ、という処で車を止める。
ドアを開けてスッと降りようとする蓉子の手を思わず掴んで引き留めた。

「蓉子?」
「…グルグル自分の中で考えていたって、駄目な時は駄目なのよ。そういう時、話だけでも聞くって云ってるのよ」
「……」
「固有名詞ナシでも構わないわよ?」

フッと笑うと私の手からスルリと逃れて車を降りた。
一体、どこまで気付かれているんだろうか。
思わず、聞いてみたくなったけど、やめておく。

不必要な突っ込みは、避けたかった。


でもこれだけは云っておく。

「話すなら、固有名詞くらいつけるわよ」
「あら、そう?貴方は猫みたいに秘密主義なのに?」
「なにそれ」
「言葉通りよ。それに…本当に重大な事が起きたら、子狸さんの顔を見れば一目瞭然でしょ」

そういうと、車のドアを閉めた。

じゃあね、と手を振って歩いて行く蓉子を、私は呆然と見つめた。

…本当に、一体どこまで気付いているんだろう。

相変わらず、私の親友は侮れない。





夕暮れの街に車を走らせる。
この位の時間帯を『逢魔が刻』なんて昔は云っていたらしいけど。
現代の今は、日曜という事もあって街には人が多いから、妖怪の類も現れそうもない。

なんとなく、普段はあまり通らない道を選んで車を走らせていると、ふいに右目に違和感を感じた。
丁度あったコンビニ前にパーキング標識を見付け、前後確認をしてサッとその路肩に駐車する。
ミラーで右目を確認すると、なんの事ない、ただ目頭にまつ毛が入り込んでいた。
バッグから取り出した目薬も差して、ティッシュで目頭を押さえてまつ毛が流れ出たのを確認した、その時。
車を止めている側とは違う、反対車線の方の歩道を歩く見知った姿を、走る車の向こうに見つけた。
何故か、その姿がしっかりと確認出来た。

――ドキン、と心臓が大きく跳ね上がる。

同じ学年の、ひとつ違いの弟と歩いている、ツインテールの明るい笑顔。
それを見ただけで、鼓動が早まった。

日曜の、街中で姿を見掛けるなんて。
その笑顔を見られるなんて。

「は、はは…」

目薬のせいで潤んでいるのとは逆の目も、潤んでいく。
横断歩道を渡っている二人に、私はうつむいて、震える手で前髪を掻き上げた。
偶然の出来事に、心臓が早鐘の様に打つ。

どうしてしまったんだろう、私は。
こんな偶然にも、心が震える。

はぁ、と溜息をついて、目を拭って顔を上げた。

二人は横断歩道を渡り終え、こちらに向かって歩いてきている。

あと少し。
あと少しですぐ側を通る。

パァン、と一つクラクションを鳴らすと、二人がこちらを見た。

あ、という顔をしたツインテールの明るい笑顔が小走りに車に近付いてくる。
それに合わせてウインドウを下ろした。

「聖さま!」
「やほー祐巳ちゃん、姉弟でどこ行くの?」




ねぇ祐巳ちゃん。
知らないでしょ?
私がいつも、祐巳ちゃんを見掛けただけで、どれだけドキドキしているか。
声を掛ける時、どれだけ緊張しているか。

その笑顔が見られる事が、泣きたくなる程嬉しいか。

でもね。

『大切なものが出来たら、自分から一歩引きなさい』という、お姉さまの言葉は今も私の中で生きている。

軽いスキンシップは反比例した「距離」
…それもこれも、冗談にしてしまえば、本気になんてしないでしょ?

私がどれだけドキドキしながら後ろから抱きしめたって、本気になんてしないでしょ?

ねぇ、祐巳ちゃん。

本気になんてせずに「やめて下さい〜」って、暴れてくれるでしょ?


……そうしていれば、栞のように求め過ぎて毀す事も、きっと無い。


fin??


後書き

最終執筆日:20040528

急に思い立って書いたものです。
…自分でも、書き出した時、何を思っていたのか、解りません…
何を書いているんでしょう…私(聞くな)
なんにせよ、うちの聖さまは祐巳ちゃんが好きで好きでたまらないらしいです…(苦笑)


「泣けない気持」


MARIA'S novel top