「名前を呼んで・4」





きっと私の知らない祐巳ちゃんが、まだまだたくさんいるんだろうな…なんて思いながら、膝の上の祐巳ちゃんのまぶたを手で覆う。

「聖さま…?」
「ん?」
「…いえ」

手のひらに、まつげが触る。
瞬きを繰り返し…そして、目を閉じた。

…私もきっと、祐巳ちゃんの知らない私がまだたくさんいるに違いない。









逃がしてなんか、やるもんか。



信じられないものでも見るような目で見られている。
私はそんなに、驚かれるような事をしているのだろうか。
祐巳ちゃんはジリジリと後退り、バスタブに当たるとそのままストン、と腰を下ろすような形になった。
私はドアから離れると、祐巳ちゃんの前に立つ。

「どうして、逃げようとするの?」

見上げてくる、怯えるような目。
どうしてそんな目をするんだろう。
何故、そんなに私を恐がっている?

「聞きたい事は聞けばいい…云いたい事があるなら云えばいい…そう云ったのは、祐巳ちゃんでしょう?それなのに、なんで逃げようとするの」

まるで叱られている子供のように、祐巳ちゃんは小さくなっていく。
さっきの勢いは何処に行ってしまった?

私はまだ濡れているにそっと頬に触れた。
手が触れるとビクッと体を固くする。
…何故そんなに怯える?

思わず、それに対して問いただしてしまいたくなる。
何故、と。
どうして、と。
そんなに怯えるほどの何があるのかと。

でも…先ずは大切な事を聞かなくてはと、祐巳ちゃんの目線まで下りた。
正面から祐巳ちゃんを見据えて、聞きたかった事を口にした。

これをさっさと聞いてさえいれば、こんな事にはならなかったんだろうか?

「…あの男の子と、何を話していたの?祐巳ちゃん、楽しそうに笑ってた」

もう名前なんて覚えていない。
私の中であの男は『祐麒の友達』というだけの存在。
あと、祐巳ちゃんが笑い掛けていた男…それだけだ。

「何って…ただ、いつ来たのかという事と、誰と来たのか聞かれただけで…」
「ふうん…それだけであんなに楽しそうな顔するんだ?」
「そ、れは…小林君とは祐麒を訪ねて結構うちに来るし…だからこんな処で逢うなんて、って…」
「じゃあ、その後展望台に登った時は、俯き加減だった…それは何故?」
「え……」

矢次早な問い掛けに困惑している事を私に知らせるかのような顔をする。

「…それは…」

何故か煮え切らない態度で視線を彷徨わせる祐巳ちゃんに、妙にイラついてくる。

「何?私には云えないような事を云った訳?その祐麒の友達くんとやらは」
「え…?聖さま…?」

駄目だ。

まだ私を黒い感情が支配してしまう。
醜い、嫉妬。
自分勝手な醜い気持。

「…え…せ、聖さま…っ?!」

乱暴に、バスルームの壁に祐巳ちゃんを押し当てた。
祐巳ちゃんは何が起こったか解らないまま私に押さえ付けられた。

「…何が祐巳ちゃんをそうさせるの?」
「せ、い…さまっ」

壁に押さえつけたままで、私は祐巳ちゃんのシャツの背中に手を滑らせる。
本当に驚いたように、祐巳ちゃんは私を見た。
まるで、助けを求めているかのように。

「な、何を…!」
「何を?私はただ聞いているだけよ。祐巳ちゃんにね」
「せ、聖さま!」

私は祐巳ちゃんの顎を持ち上げ、目を覗き込む。
怯えたような、それでいて私の行動を非難するような目。
思わず、背中にゾクリとしたものが走る。

「…友達くんは、何を云ったの?」
「誰と来たのかって…」
「違う」
「やぁ!」

シャツの下から手を差し入れた。
下着をも上げて、片方のふくらみに触れる。

「聖さま…!」

目をギュッと閉じて頬を赤くする。

「ただ、誰と来たのかって…祥子さまと来たのかとか聞かれただけです…っ」

その時、私の手が、カランにぶつかってカツンという音を立てた。
途端にシャワーから勢い良く水が降り注いだ。

…清掃係の怠慢だ。
思わずそんな事と頭の冷静な部分が考えた。
通常、シャワーにしたままではいけないはず。

「や…っ」

祐巳ちゃんが降り注ぐ水に驚いている。
そんな様子を横目に、私はカランを閉めた。

ふるる、と頭を振って水を飛ばす。
それでも浴びせられた水は髪からポタポタと落ちる。
祐巳ちゃんは完全に頭からずぶ濡れ状態になってしまっている。
シャツがぴったりと肌に張り付いてしまっていて、何気に私をそそる。

「…ふうん…祥子と来てるのかって聞かれて、それで祥子の事思い出して、思いを馳せていた…って事?」
「…え?」
「私と一緒に来てるのに、祥子を思っていたんだ?」

…祐麒の友達だけじゃなく、祥子にまで嫉妬してしまう事になるなんてね。

「違…!違います聖さま!そんな事…!」

必死に頭を横に振る祐巳ちゃんに、苦く笑う。
そんなに力一杯否定しなくてもいいのに…

余計に、怪しいよ。

「いいよ…祐巳ちゃんは『お姉さま』が大好きなんだから…」
「聖さま…!」

愕然とした表情の祐巳ちゃんが頭を振る。

「また…また私を見てくれないんですね…」
「見てるよ」
「じゃあ何故そんな事云うんですか…っ」
「でも、祥子の事を考えていたのは事実なんでしょ?」

ゆっくりと、祐巳ちゃんの体に腕を回す。

「去年は、祥子んちの別荘に行ったんだっけ?その時の事でも思い出した?」
「聖さま…」

密着する体に抗う事も無く、祐巳ちゃんは力なく私を見上げる。
そして、何かを諦めたように「わかりました」と呟いた。

「…私は…勿論祥子さまや妹の事を大切だって…思ってます…でも…その気持とは別なんです…私は聖さまが好きだから……でも小林君に意外な組み合わせって云われて姉妹で行動してなきゃ違和感あるのかな…なんて思った…でも…私は…聖さまじゃなきゃ…嫌だから…」

祐巳ちゃんの顔が、歪んでいく。

「でも…聖さまを不安にさせるのは、いつでも私なんですね…」

ほろ…と涙が零れ落ちたのを見て、私は息を飲んだ。
さっきシャワーの水を頭に被っても冷えなかった頭が、まるで氷水でも浴びせられたかのように冷えた。
私の手を取って、先ほど触れた胸のふくらみに自分から触れさせる。

「祐巳…」
「聖さまが、したいのなら…したい様にして下さい…それで聖さまの気が納まるのなら」

その言い方にカチンと来た。
まるでソレだけみたいじゃないか。
まるで祐巳ちゃんの体だけが目的みたいじゃないか。

「…私がソレだけしか望んでないと思っている訳?」
「でも、さっきはしようとしたでしょう?」

思わず、グッと言葉に詰まった。
確かに…さっきは祐巳ちゃんに触れようとした。
問いただす為に。
…卑劣な、事だ。
自分の正当化しようとしている行動のひとつかもしれない。

…最低な事だ。

「ごめん…さっきのは…私がおかしかったんだ。そんな事したって、なんにもならないのに…」

醜い嫉妬に、簡単に染まってしまう弱い心。
『好き』だからしちゃいけない事なのに、その『好き』を大義名分に傷付けようとした。

私はまるで硝子細工の花を抱えるように、祐巳ちゃんをやんわりと抱きしめた。

「大事にしたいのに…大切で仕方がないのに…私は祐巳ちゃんを傷付ける事ばかりしてしまう…」

大事過ぎて、見えなくなってしまう。
これが、お姉さまが『一歩引きなさい』と云っていた意味なんだろう。
大切なら、大切だからこそ、一歩引けと。
近付き過ぎると、傷付けてしまうから。

「このままだったら…祐巳ちゃんは私から離れていってしまうかもしれない…」
「聖さま」
「嫌だ…そんなのは」

嫌だ。
祐巳ちゃんを抱きしめる腕に、自然に力が入る。
これじゃ、玩具を取られたくなくて抱え込んでいる子供と一緒だ。
祐巳ちゃんの手を握り締めて離せなくなっている。

そうじゃなくて。
そんなじゃなくて。
一緒に歩いていける関係になりたい。
云わなきゃいけない事を云える関係に。
きちんと話し合って、問題を解決して、更なる先を見る事の出来る関係に。

「祐巳ちゃん…私の傍にいて」
「……」
「私の傍で、名前を呼んでいて」

祐巳ちゃんの肩口に顔を埋める。

そして、自分の不甲斐無さと情けなさを詫びる。
どうか、許して…と。
弱い私を。
弱すぎて、傷をつける事以外出来なくなってしまう私を。

見返りが欲しくて好きになった訳じゃないのに、祐巳ちゃんの心を求めてしまう、私を。










「…ねぇ…聖さま…私は、本当に聖さまの傍にいてもいいんですか…?」


当たり前だよ…祐巳ちゃん以外、私が傍にいてほしいと思う人なんて、いない




執筆日:20050205


改訂ver.です。
実は改訂前ver.はこのページの何処かに隠してあります。
比べてみても、あまり楽しくはないかも。

しかし。
我侭だなぁ…私…と今回は本当に思った…


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