はいはい。解りましたよー

私は心の中でそう云いながら、祐巳ちゃんとカトーさんに寝返りを打ちながら背を向けた。

横になったからって、ドラえもんののび太でもあるまいし、そんなにすぐには眠りに落ちる筈もない。
それに、さっきも云った様に最近ずっと眠りが浅い。
眠れない、と云った方がいいかもしれない。

…ほんとに、どうしちゃったのやら、私は。

背中を向けた二人には解らない様に苦笑をもらす。

ほんとに君は大物だよ、祐巳ちゃん…私をこんな風に出来るなんて。


夜、明かりを消して天井を見上げていると、思い出す。
温室での、出来事。
泣いている祐巳ちゃんを抱き締めたあの時の事。

私の胸を切なくさせる。
愛しさで、息が苦しくなる。

…その内に、閉じられたカーテンの隙間から白い光が溢れ出し…朝がやってくる。

その繰り返し。


…正直云ってあの温室は苦手だった。
出来ればあの温室とはもう、関わりたくはなかったのに。

あの温室は、今はもう短く切られている髪がまだ長い頃の私を知っている。

私と栞を、知っている。

栞とずっと一緒にいられるものと、別れるなんて事を考えられなかった『私』を知っている。

優しい記憶は、苦い思い出にも成り得るのだ、とあの温室は私に教えた。


けれど、その温室での祐巳ちゃんとの出来事を今の私は思い出す。

今の私の胸を占めている、眠れない程の想いと共に。

背中越しに祐巳ちゃんの声が聞こえる。

涙混じりの切れ切れのものではない、現実の、祐巳ちゃんの声。

その声を聞いている内に、とろとろと睡魔がやってきた。

…そういえば…あの頃、よく勉強していたっけ…

ふわり、と二年ほど前の事を思い出す。

今祐巳ちゃんとカトーさんがそうしている様に、机に二人並んで。

そう…栞と。

そうしていれば、周りの大人は文句を云えまい、そう思って。

夏休みは図書館で宿題を片付けた。

でも夏休みだったというのに、何処へも遊びに行った事も無かった。

あ…いや、そういえば一度だけ…

あれはいつだっただろう。

細かい時間はもう定かではない。



私は記憶の波に飲み込まれる様に眠りに落ちていった。






夏休み。
私たちは宿題も既に終えてしまい、図書館で本をよく読んでいた。

暑い外の世界より、ひんやりとしている図書館で本を読んでいた方が良かった、という事もあったけれど。
隣同士に並んで座って本を読み、ふと顔をあげて隣を見ると、栞も同じ様に私を見ていた。

そっと微笑み合い、また本へと視線を落とす。

誰にも邪魔される事のない、ゆっくりと流れる時間。
それは至福の時間だった。

けれど、その至福の時間は夏休みの終わりと共に終わりを告げる。

私は二年生で、栞は一年。
何もかもが、また別になってしまう。

そう考えると酷く憂鬱だった。

栞と離れたくない。
いっそひとつに溶けてしまえたら、どんなに幸せだろう…

そんな事をつまらない授業の間、よく考えていた。



「ねぇ、栞」
「何?聖」

何故私はそんな事を考えたのか解らない。

多分、誰もいない処で栞と二人きりになりたかったのかもしれない。

「海、行かない?」
「海?これから?」
「そう、これから」

唐突な提案にも、栞は笑顔で頷いた。

そんな栞に、彼女も私と同じ気持だったのかもしれない、なんて自惚れを抱いた。

実際はどうだったかなんて、誰にも解らないけれど。


M駅から電車に乗って、私たちは海まで来た。
もちろん、制服のまま。

夏休みも終わり、砂浜には誰もいない。
私たち以外には、誰も。

ただ波が寄せては返す…それだけを繰り返しているだけ。

「誰も、いないね」
「…そうね…」

おもむろに、栞が靴と靴下を脱ぎ出した。

「駄目だよ栞。海へは入れない。多分クラゲがいるよ」
「大丈夫、海に入る訳じゃないから。ほら、聖も」

栞に手を差し出されて、私が行かない筈がない。
苦笑しながら同じ様に裸足になって、栞と共に砂浜を歩いた。

ザァ…ッ、と波が足元まで寄せてくる。
歓声をあげながら、その寄せてくる波から逃げる私たち。

無邪気に笑う栞を見て、私は海に来た事を良かった、と思った反面、もう少し早くこうするんだったと思った。

またこんな時間を過ごせたらいい。
そう思った。


けれど、実際は学園祭の準備が始まり、二人の時間を持つ事がなかなか困難になった。

栞はクラス参加の展示制作に追われていたから、私も薔薇の館へ行く事が増えていたし。

そして……私は、学園祭が終わって少し経って、栞がシスターになる事を聞いたのだ。


二人の幸せだった時間は壊れた。

私は何もする気がなくなり、勉強も疎かになっていった。

そうして…二学期末試験後の試験休み中に進路指導室に母と共に呼び出され、まるで合わないジグソーのピースの様に大人たちの勝手な都合を押しはめられた。

…ただ一人、学園長は私たちを正しく理解していた様だったけれど。


そしてクリスマスイヴに、栞は私の前から姿を消した。
お聖堂の裏で見せた最後の笑顔を、私の胸に焼き付けて。




どうして今、栞の事を鮮明に思い出しているんだろう。


これが夢だという事はなんとなく解っている。

けれど私は、私の内の記憶再生装置を怨みたかった。

あの頃の私には、栞が必要だった。
本当に、栞さえいてくれたら、それでよかったのに。

なのに。

私は今もここにいて。
でも栞は、いなくて。

栞がいなければ、生きていけないとまで思ったのに。
栞はいないのに、私は生きている。

私はこの先も栞を忘れる事は無いだろう。
こうして時折思い出す。

栞を忘れる事は、あの時の全てを否定してしまう事になるから。


お姉さまが云って下さった通り、ゆっくりと、傷は癒えていった。
勿論、未だに時折胸が痛む事もあるけれど。
出来る筈もないだろうと思っていた妹も出来た。

私は、この傷跡をずっと抱えて生きていく。

そして私は…あの子と出逢った―――


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