想い出
(聖)





何故今、思い出したのだろう。


左の、唇から少し離れた、頬。

そこに手を当てて、私は微笑んでいた。


「…?どうしたんです?聖さま。歯でも痛いんですか?それとも口内炎ですか?」

あまりにも見当はずれなそれにブハッと吹き出した。
歯が痛かったり口内炎があったりしたら、微笑まないでしょうが、フツー…

「な、なんなんですか…一体…何かおかしな事云いましたか?私…」

しかし、さすがは祐巳ちゃん、外さないなぁ…と背中から抱きしめる。



連休二日目。


ちょっと遅い朝ごはんを用意していて、ふと、懐かしい出来事を思い出した。




卒業式の前日。
誰もいない三年の教室。
そこにやってきたのは…祐巳ちゃん。


『忘れ物ですか』


あの絶妙な科白が、今も忘れられない。


何があの場所に祐巳ちゃんを呼んだんだろう…といまだに思う。

一年生である祐巳ちゃんが、三年の教室の方向になんて用など無かった筈。

それに、三年藤組の教室に私はいたけれど、覗き込まなければ解らない場所にいた。
その私が見えた、という事は……もしかして、私を探していたんだろうか。

そんな淡い期待を持ってしまう。

いやいや、もしかすると破廉恥な先輩へのお礼参りだったりして…なんて考えてみるが、祐巳ちゃんに限ってそれは有り得ない。
これでも、何かと頼れる先輩でもある筈なんだし?

何せ『ロサ・ギガンティアは卒業しちゃう。そしたら、どうしよう』なんて可愛らしい事をバレンタインの前日に云ってくれたりしたんだし?



…そんな祐巳ちゃんが私に云った事。
志摩子や、ゴロンタの事で自分に云いたい事…遺言は無いのか、って事だった。

多分、蓉子が「祥子の事、御願いね」位の事を祐巳ちゃんに託したんだろう。
そういえば、去年、紅薔薇さま…蓉子の姉が、祥子をミルクホールに連れ出して何か云っていたっけ。
それを、今年蓉子が祐巳ちゃんにやったんだろう。

あそこの姉妹は、カッチリしているから。

私にはあの頃、妹がいなかったから…お姉さまは私を託す言葉を誰にも残せなかったのかもしれない。

否。

お姉さまがそんな事する訳無いか…なんて思った瞬間、ちょっと待て、と思う。

もしかすると、蓉子にでもひと事云っていっていたりして…
あはは、有り得ない事じゃないかも。


まぁとにかく、私には別に託すものなんて無いし、どうせなら祐巳ちゃんのキスが欲しいと茶化した私に、一度は離れたというのに、くるりと振り返ると、切なげな目を向けた。

ちょっと、胸に来る様な、目。

胸の辺りで、きゅっと握った手が、可愛くて。
その手が段々下がって行って…
そして…意を決したように、小走りに近付いてきた。





左の頬に受けた、柔らかな唇の感触を、私は今だに思い出せる。



多分、あの時に完全に心を奪われた。




それまでの積み重ねも、勿論ある…

けれど。

決定的なのは、その時だったはず。




それにしても、卒業前日に心を奪うなんて。
あまりにも酷いじゃない?

同じ敷地内とは云え、卒業してしまったらなかなか逢えなくなってしまうというのに。
っていうか、逢ってはいけないから。
頼られるだけじゃ、いけない。
いつまでも。

それは祐巳ちゃんの為にはならない。
蓉子や江利子の様に、逢おうと思わなければ逢えない場所にいる訳ではない私でも、このまま頼られてばかりで良い訳がない。

距離を置かなくてはならない。
そう思った。

それなのに…私は…卒業前日に心を奪われてしまった私は、どうにか関わる事を考えてしまっていた。

同じ敷地内って事を最大限に利用しよう。
同じバス通学な事を、利用しよう。
M駅だって利用出来る。

いざという時、そこにいられるように。

ピンチには、駆けつけられる様に。








「聖さま?本当にどうかしたんですか?」

いつまでも離れて行かない私に、祐巳ちゃんは困惑気に問いかけてきた。

「ん?んー…なんか、懐かしい事、思い出しちゃったんだな、何故だか解らないけど」

いや、なんとなく、解っている。
どうして思い出したのか。

多分、きっと、ゆうべの事のせい。

「どんな事なんです?」

背中にいる私を振り返りつつ、聞いてくる。
その祐巳ちゃんに、私はギュッと抱きしめる腕の力を強めた。

「聖さま…?」
「…祐巳ちゃんが、キスしてくれた日の事」
「え?」
「あれ…覚えていない?あのときの祐巳ちゃん、可愛かったのにぃ…」

目を白黒させる祐巳ちゃんに私は悲しい顔を作った。

「お、覚えていますよ…」
「へえ、どんなだったっけ?」
「…っ!聖さまって、イジワルですよねっ」

そういうと、祐巳ちゃんは私の方に、くるりと体を回転させた。

そして、ほんの少しの背伸び。
唇の、少しずれた処にある頬に、軽いキス。

「…こんなですよ!」

照れくさいのか、祐巳ちゃんは真っ赤になって私の腕から逃れて行こうとする。

それを許さず、私は、あの時と同じ様に手を掴んで引き寄せた。



「…ありがとね」




あの時、私は祐巳ちゃんを引き寄せて、胸に抱いて…そして口付けたかった。



今の私なら、そんな事は簡単に出来てしまう。

でも、あの時の私には…抱きしめるだけで、精一杯だった。
祐巳ちゃんの優しい唇の感触を頬に。
祐巳ちゃんの優しさを胸に。
祐巳ちゃんの温かさを自分の体に焼き付けて、

そうして、祐巳ちゃんの背を押して、離れる事だけしか出来なかった。



私はそのまま顎に手を掛けると、上を向かせてゆっくりと、触れるだけのキスをする。

…あの時、出来なかったキスを、今、あの時の祐巳ちゃんへと、送る。


「…あの時、こうしたかったんだ」


素直な、気持ち。

それを云う私に、祐巳ちゃんはちょっと吃驚した顔をすると、次ににっこりと笑った。




「じゃあ、今…沢山して下さい」






後書き

執筆日:20040728〜20040729


ゆうべのお莫迦なコメントは綺麗に削除。

今日は眠くないです!
大丈夫!

…って、昨日のコメント見てない人にはさっぱ解りませんよね…

眠くて誤字脱字は多いわ日付は3004年の未来の人だわでもう…目も当てられない状態でupしてしまっていたのです。

で、あまりの申し訳なさにサクッと削除しちまおう、なんて思って日記にも書いた訳なんですけど…

web拍手に読んで下さっている方々の暖かいご意見を戴いて、甘えてしまう事にしました。
その中の方の「加筆されては?」という意見を採用して、再度upです。

でも、私の意見を尊重して、「削除してもいいですよ」と云って下さった数人の方にも感謝。
大好きです。

これからも頑張りますので、どうか温かく見守って戴けると幸いです…

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