留守電
(聖祐巳)
声が聞きたくて、何度も留守電に電話した。
いつだったか、聖さまの車に乗っていた時にラジオから聞こえた、そんな歌。
なんで何度も留守電に電話するんだろう、って思った子とが、そのまま口から出ていたみたい。
うちの留守電はあらかじめ録音されている既成のメッセージを使っていたから解らなかったから。
祐巳の呟きを聞いてた聖さまが、「今度、私に掛けてみて。祐巳ちゃん用の作っておくからねん」なんて云った。
でもなかなか祐巳から聖さまに電話をするなんて事、なかったから、その事はいつのまにか、祐巳の脳裏からは消えていた。
あの時まで…
◆
「まだ、ダメ」
聖さまが、車の中でそう云った。
「何故ですか?」
「どうしても…御願いだから、聞き分けて」
「…それって、私が無理難題云ってるみたいですね…」
前髪を掻きあげる聖さまのクセ。
ちょっと困った時や照れくさい時にするクセ。
今は照れてなんかいないから、これは困っているという証拠。
「解りました。帰ります。それでいいんでしょう?」
祐巳の言い方に、カチンと来たみたいな聖さまが、そっけなく「そうだね」と云った。
…ただ祐巳は聖さまと一緒にいたいだけなのに。
ただ、それだけなのに。
聖さまは、祐巳を聖さまのお部屋に連れていってくれない。
◆
祐巳ちゃんが、云ってる事は別に無理難題なんかじゃないのは解ってる。
ただ、私と一緒にいたい、そう云ってくれているだけ。
私が、それを拒んでる。
二人きりになる事を、拒んでる。
祐巳ちゃんが泊まりに来て…同じベッドにただ眠る事が、出来るという自信が無い。
祐巳ちゃんはただ普通に部屋の中を歩き回り、食事して、そして眠っているだけ。
でも、私にとって祐巳ちゃんの仕草、行動、その全てが…まるで麻薬の様に私を惑わせているんだって事。
それは祐巳ちゃん自身には解らない事。
もうお姉さまの言葉に逃げないと誓った。
…でも、それでも踏み込む事が、恐かった。
そうする事で、祐巳ちゃんを傷つけてしまうんじゃないか。
そうする事で、祐巳ちゃんが私を避けたりするんじゃないか。
そんな事は無いと、思ってはいても…恐い。
ラインを越えたい私がいる。
まだ早い、と諌める私がいる。
理性という名の縛りを解き放つ為の鍵は、いつ解かれるか、解らない瀬戸際まで来ているから…恐い。
◆
pm10時。
まだ時間的には早いけれど、灯りを茶色にして、ベッドに潜り込む。
寂しい、と思ってしまう。
聖さま…どうして…?
やっぱりまだ、一歩引かれているのかな。
大切にされているのは、解る。
でも、その一歩を踏み越えて近付いて欲しいと、そう思う祐巳は我侭なのかな?
「聖、さま…」
名前を口にすると、涙が出てきた。
声だけでもいい、聞きたい。
電話の子機を手にとって、ゆっくりとボタンを押していく。
あまり祐巳からは掛けた事のない、でも何度も掛けようとしてボタンを途中まで押したから、指が覚えている、その番号を最後まで押し終える。
…すると呼び出し音が受話器から聞こえ出す。
心臓が、早鐘のよう…
聖さまが出たら、別れ際の言葉をごめんなさいと謝って、それから…
カチャリ。
『やほー、祐巳ちゃん?どうしたの?』
聞こえてきた明るい声に怒ってなかったんだ、と嬉しくなった。
「聖さま…!」
『ふふふー、吃驚した?でもごめん、今はちょっと出られないんだ。後から掛け直すから、ピーって鳴ったら用件を入れておいてね』
「え…?」
これ、留守電だ…!
ピー、という電子音が鳴る。
思わず、祐巳は慌てて電話を切ってしまった。
「…あ」
切れてしまった子機を手にしたまま、ベッドの上に座って呆然とする。
…出られなかったのかな…、それとも怒っているから、出てくれなかったのかな…?
「…っ」
涙が溢れ出す。
指がまた、ボタンを押し始めた。
携帯に着信履歴が残るから、どうしたんだろうと思われてしまう。
でも、聖さまの声が聞きたい。
留守電のメッセージでもいい。
だって…明るい声で「祐巳ちゃん?どうしたの?」って、云ってくれるから。
カチャリ
『やほー、祐巳ちゃん?どうしたの?』
どんな顔で、こんなメッセージを録音したんだろう。
きっと、ほんの少し照れながら、前髪を何度も掻き上げて…
ピー、という音がして、聖さまの声が終わってしまった。
「…っ、聖、さま…っ」
子機に向って呼びかける。
ただ、それだけしか出来ない。
何も云えなかった。
そして、再び、ピーという音が鳴り、通話が切れてしまった。
ただ、声が聞きたくて何度も…
いつだったか、聖さまの車のラジオから聞こえてきた歌を思い出した。
今、その歌の気持ちが良く解った。
留守電のメッセージなら、拒まれない。
明るい声で、祐巳に呼びかけてくれるから。
…まるで嫌がらせの電話みたい…、と苦笑いする。
今度逢えたら…仲直り出来たら…その時に謝ろう。
だから、今は着信履歴、いっぱい残っちゃうけど…声を聞かせて下さい。
◆
シャワーを浴びて、ミネラルウォーターを手にソファに座ると、携帯の着信ランプが光っていた。
その色は、携帯を買った時、祐巳ちゃんの家の電話番号に設定しておいた色で。
滅多に光る事のない色。
「…祐巳ちゃん…?」
画面を見ると「着信あり」という表示。
履歴を確認しようとした時、留守電にメッセージがある事に気付いた。
『…っ、聖、さま…っ』
涙声で、ただ名前だけ。
それだけしかメッセージは入っていない。
でも、微かに聞こえるには、嗚咽。
「祐巳ちゃん…!」
居ても立ってもいられなくて、私はパジャマを脱ぎ捨てて服に着替えて、携帯と車のキーを手に部屋を飛び出した。
なんで泣いてるの?
何がそんなに悲しいの?
…原因は、私。
私が祐巳ちゃんを泣かせている。
信号に止められる。
そのわずかな時間さえも惜しかった。
助手席に置いた携帯が着信を知らせる。
祐巳ちゃんからの着信ランプ。
直ぐに切れる。
そしてまた。
最初はそれを意味するものが解らなかった。
でも、自分が祐巳ちゃんへの留守電メッセージを入れるに至った理由を思い出した。
『なんで何度も留守電に電話するんだろう…』
そう云った祐巳ちゃんに私はなんて云った?
『今度、私に掛けてみて。祐巳ちゃん用の作っておくから』
祐巳ちゃんは、今私の祐巳ちゃんへのメッセージを聞いている。
私の、声が聞きたくて。
また信号で止まる。
思わず舌打ちが出たけど、丁度その時、着信が入った。
イケナイ事だと解ってる。
でもマリア様、今だけはお許し下さい。
「祐巳ちゃん!」
『…っ、え…?聖、さま…?』
「いい?今そっち向ってるから!あと5分くらいだから…だから、待ってて」
◆
『いい?今そっち向ってるから!あと5分くらいだから…だから、待ってて』
そう云うと、電話はプツッと切れて、ツー、ツー…という音だけが聞こえた。
うそ…っ
聖さまが、出てくれた。
今、こっちに向ってるって…5分くらいだって…
ハッとして、ベッドから降りて祐巳はパジャマから服に着替える。
今は、10時30分。
ちょっと微妙な時間。
でも、そんな事はどうでも良かった。
部屋を飛び出して階段を下りていくと、祐麒がリビングから出てきた。
灯りが消えてるって事はお母さんもお父さんも部屋に入ったんだろう。
良かった。
「ど、どうしたんだよ祐巳?」
「ちょっと、出てくる」
「ってオイ、こんな遅くにどこ行くんだよ!」
「コンビニ!」
もう口から出任せ。
ごめん祐麒。
でも。
靴を引っ掛ける様に履いて、玄関の扉を開く。
通りに出ると車のライトが近付いてくる。
聖さまの車のライト。
キィッ、と車を止めると、聖さまが降りてきた。
困った様な、怒った様な、泣きそうな、表情で。
「…待たせて、ごめん」
そう云うと、祐巳に向って腕を広げた。
おいで、って、そう云ってる。
「…っ、聖さま…っ」
祐巳は聖さまの胸に飛び込んでいく。
すると聖さまは祐巳をギュッと抱きしめて「ごめん」と呟いた。
「ごめんなさい…っ聖さま…っ」
■
こんな時間にコンビニ!?
必死な表情の祐巳が玄関から飛び出していく。
おいおい、ちょっと待てよ…
階段をなるべく静かに駆け上がり、部屋に入ると財布とジャケットを手に階段をまたもなるべく静かに駆け下りる。
親が部屋に入っているから、最低限の配慮だ。
靴を履いていると、車が止まる音がした。
玄関の扉を開くと、良く見る黄色い車が止まっていた。
あれ…?
車のドアが開くと、これまた見知った人物。
でもその表情はいつも見せるものとは全然違う。
何処か、切羽詰まった様な表情。
「…待たせて、ごめん」
そう云うと、祐巳に向って腕を広げた。
「…っ、聖さま…っ」
祐巳はその人の胸に躊躇い無く飛び込んでいく。
その人も、祐巳をギュッと抱きしめた。
…そっか。
祐巳が帰ってきてから元気が無かったのは、そういう事だったのか…
俺は静かに玄関を閉めた。
◆
「寒いから、車に乗って」
祐巳ちゃんを車に乗せると、ほんの少し、車を走らせる。
そして、ちょっと広い駐車出来るスペースに車を止めた。
「…ごめんね、祐巳ちゃん」
「ううん…私が我侭云ったから、でしょ?」
泣きそうに笑う表情に、私は首を横に振った。
「違うよ…そんなんじゃない。ただ…私が臆病なだけ、だから」
「…聖さまが?」
「そう。祐巳ちゃんが好きだから。だから、ちょっと臆病になった。それだけ」
そういうと、祐巳ちゃんが首を傾げた。
「…どうして…?」
「どうしてかな。私にも解らないや」
「私も聖さまが好きです…聖さまに、触れたいって思います…触れて欲しいって、思います」
「…祐巳ちゃん…?」
「あの時みたいな…キスを、して欲しいって…」
赤くならずに、祐巳ちゃんが云う。
「聖さまが、好きだから」
助手席から、手を伸ばして私の左手を取ると、キュッと握る。
「今、来てくれて、嬉しいです」
何故だろう。
胸の中にあった、黒いものが少し消えた気がした。
ただ、触りたい。
なら、触ればいい。
たったそれだけの事だったのかもしれない。
「私も、逢いたかったから。だから、こんな時間なのに来ちゃった」
「嬉しいです…聖さま」
大切な笑顔。
その笑顔に私はそっと顔を近付けた。
触れるだけのキスをして、それからほんの少し、熱を帯びたキスを。
「…好き…」
祐巳ちゃんの艶の混じった声に今いる場所を忘れそうになる。
「うん…好きだよ」
唇を離して、囁くと嬉しそうに微笑んだ。
車を祐巳ちゃんの家の前に止めて、ちょっと名残惜しそうにしている祐巳ちゃんに思い切って切り出した。
「ねぇ祐巳ちゃん」
「なんですか?」
どうなるか、解らないけど。
もしかすると、鍵が解かれるかもしれない。
もしかすると、まだ解かれないかもしれない。
本当に、どうなるか解らないけど。
「今度の土曜日、うちにおいで。お泊り道具持参でね」
後書き
執筆日:20040709
甘々にしようと思って書き始めたはずなのに、なにかちょっと違うものに変化してしまった…
そして、ごめん祐麒。
今回ラストでこう書きましたが…
本当にどうなるか解りません。
どうなるんでしょうねぇ。
もしかすると、全然関係ないSS書くかもだし。
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