タイ
(聖)






鍵は祐巳ちゃんの手の中にある。
そして鍵は解かれる時を待っている。
何度解かれそうになった事か。

もし、たとえ鍵が解かれたとしても…
まだ、今はまだ、私にその向こうへ…そのラインを越えてはいけないと思っている。

…お姉さまの言葉を思い出す。

「大切なものが、出来たら…」


…否
もしかすると、その言葉を理由にしているだけなのかもしれない。

ただ…ただ私が、そのラインを越える勇気が無いだけなのかもしれない。







「佐藤、聖さま」

フルネームを呼ばれて、校門へと向かっていた私は思わず立ち止まる。

振り返ると高等部の制服を着た女の子が立っていた。
緊張した眼差しが、なかなか好感。

「何か用かな?」
「あの…聖さま、時折お見掛けしていて…あの…」

おや。この展開は告白ですか?この私に。
なかなかのチャレンジャーだ。

祐巳ちゃんのひとつ下…二年生くらいかな。
でも申し訳ないけれど、私は本当に見覚えが無い。
まぁ確かにこの子も『見掛けていた』と云っているから。

「…あの…好き、です…聖さま」

顔を真っ赤にして、それだけを云うのがやっと…という感じの女の子に私は「有難う」とお礼を云う。
告白してくれた、その勇気に敬意は払わねば。

今の私には、その勇気が眩しくて、羨ましい。


「…でも、ごめんね?」
「……はい…」

解ってます、と目に涙をいっぱいに溜めてぎこちなく微笑みを返してくる。


「あの…ひとつ、お願いがあるんです…」
「私に出来る事なら」
「私、紅薔薇さまに憧れてます…つぼみでいらした頃から」

へぇ、祐巳ちゃんファンか、この子。
祐巳ちゃんも隅に置けないなぁ。
…て、当たり前か…
あの子を好きにならない人間は、多分いないだろう…


「聖さまは、紅薔薇さまが前の紅薔薇さまの妹になられたきっかけ、ご存じですよね」
「勿論」
「昨年、まだつぼみでいらした頃も、よく前紅薔薇さまにタイを直して戴いていたのを見て、あんな風に私も好きな人にタイに触れて戴きたいって、ずっと…。お願いです、聖さま…私のタイを、直して戴けませんか…?」

この子は本当に勇気のある子だ、と思う。
尊敬すら感じてしまうくらい。


でも。

「…ごめんね。それは出来ない。私には好きな子がいるから…私がタイを解くのも、直すのも、その子だけだから」
「……そう、ですか…。それは、妹の白薔薇さまですか…?」

そこで「うん」と云えばいいのに、何故か私は首を横に振っていた。

「あの子は『妹』だから…」

すると、少し愕いたような顔をした。

『好きな子』『タイ』
このキーワードで『妹』以外の子を好きだという私に愕いたのだろうか。

それでも「そうですか」と頷いた。
そして私の後方を見て、あ、という顔をした。
私も振り返る。

「紅薔薇さま…!」

ツインテールを風に揺らして祐巳ちゃんが立っていた。
本当に憧れているんだな、というのが解るくらいに、この子は真っ赤になった。

「ごきげんよう…!紅薔薇さま…!」
「えっと…貴方は瞳子ちゃんのお友達だよね?ごきげんよう」

にっこりと、祐巳ちゃんはその子に向かって微笑む。

その笑顔にチリ、と胸が痛んだ。
私じゃない子に向けられた笑顔に。

祐巳ちゃんが、私を見ない事に。

「…祐巳ちゃん」
「……」

名前を呼ぶと、祐巳ちゃんはほんの少し体を堅くした。

「祐巳ちゃん!」
「…ごきげんよう、聖さま」
「怒ってるの?」
「何故…」
「私を、見ないから」
「…怒ってなんかいません」
「…あ…の…紅薔薇さま…?」

私と祐巳ちゃんのやり取りに目を白黒させている女の子に「ごめんなさい」と祐巳ちゃんが微笑んだ。

「…演劇部、だったよね?瞳子ちゃんに今日の山百合会の会議はありませんって伝えて貰えるかな?」
「あ、はい…」

解りました、と云うと、その子は私に深く頭を下げると校舎の方へと足を向けた。

「あ、待って」

何を思ったのか、祐巳ちゃんがその子を引き留めると、何かを囁いた。
それに小さく頷いて、歩き出す。

その姿を見送って、祐巳ちゃんが歩き出す。

「どこ行くの」

手を掴んで引き止める。
まだ、私を見ない。

「…ここじゃ、目立ちますから…」



古びた、温室。
久し振りに来た気がする。

足を踏み入れた瞬間、ひとつ心臓が大きく跳ねる。

温室の中で、祐巳ちゃんが真っ直ぐに私を見ていた。

「…聖さま…私は、聖さまが、好きです」
「……祐巳ちゃん」

一言一言、区切るように、覇っきりと云う。

「以前、聖さまは教えてくれましたよね…『大切なものが出来たら、自分から一歩引きなさい』と聖さまにお姉さまがおっしゃられたと」
「…うん」
「私も、一歩引かなくてはいけませんか…?」

思わず、私は目を見開いた。

「なんで祐巳ちゃんが…」
「…私は聖さまが好きです」
「私も祐巳ちゃんが好きだよ」
「…聖さまは私を大切にしてくれます…私も聖さまが大切です。でも、だから聖さまが私から一歩引くと云うのなら…私も同じように一歩引かなくてはならないのではありませんか?」

祐巳ちゃんの目が潤んでいく。

「祐巳ちゃん…」

丁度二歩分くらい離れていた距離を一歩踏み出して縮めた。

「そんなの、嫌です…」


お姉さまの言葉を、私は取り違えて理解したつもりになっていたのだろうか?

大切なものが出来たら…
直ぐに動くのではなく、まずは一歩引いて自分を落ち着けて、まわりを見て、それから動き出しなさい。

もしかしたら、そう云いたかったんだろうか?
…いや、それも『当たり』ではないのだろうと思う。
自分で考えなくちゃいけないんだろう。

でも今、お姉さまに言葉の意味を聞きたい。



祐巳ちゃんの手を取って、ぐいと引いた。

「…ごめんね」

今までの私の解釈が合っていたのか間違っていたのか、解らないけれど。

でも、大切な子を泣かせてしまっている私を、多分お姉さまは困った様な笑顔で見るかもしれない。

「祐巳ちゃんが、好き」

額に唇を寄せる。

すると上を向いた祐巳ちゃんに、私はゆっくりとその唇に触れた。







「…さっき、あの子に云ってましたよね」

銀杏並木を歩きながら、祐巳ちゃんが思い出したように云った。

「何…?」
「タイを解くのも、直すのも…って」
「ああ…うん」

祐巳ちゃんは自分のタイの両端を持って微笑んだ。

「祥子さまは私のタイを直して下さったけど…聖さまは私のタイを解いて、そして結ぶんですね」
「…祐巳ちゃん」


「嫌ですよ?解いたら、きちんと結んでくれないと」




後書き

執筆日:20040706

眠い頭で書いてるせいか、なんだかなぁ…な感じですね…すいません。
もう平謝りです…

一応『パジャマ』の後の話…と思って書き始めたのに…解って戴けますか?無理ですか…

でもまだまだ一定ラインは越せそうもないかなぁ…

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