幸福
(聖祐巳)
寂しさや、哀しさって云うものは、何故だか解らないけれど、伝染してしまう事がある。
たとえ、その寂しさが漠然とした理由の無いものだとしても…
たとえ、その哀しさが理不尽なものだったとしても…
不安は、誰だって抱えてるものだから。
だとしても。
これは一体、どうしたものかな…
ホント、どうしてしまったんだろう。
っていうか、どうすればいいんだ?本当に。
「…聖さま」
真っ直ぐな、ちょっと潤んだ目。
その目は今、私だけを写している。
いや、今だけじゃない。
祐巳ちゃんは、私を見てくれている。
いつだって。
よく祐巳ちゃんは百面相だと私は云っていた。
実際、クルクルと良く表情を変える。
だから、私には祐巳ちゃんが何を考えているのか、うっすらと解る。
でも、祐巳ちゃんだって何故か私の事を解っている事があって驚かされる事があった。
今だってそう。
微妙な私の内部に影響されているんだと思う。
『昨日みたいな、キスをして』
誘ってるの?
それとも…?
…どうしてよいものか、検討がつかない。
解らず私は祐巳ちゃんを見詰めているしか出来なくて…というより、祐巳ちゃんの目の力に圧倒されたのか、動けなくて。
妙に喉が渇いている気がするのは、何故?
そうして見詰め合っていると、フッと祐巳ちゃんが急に目を逸らせた。
「……解りました」
そう呟いて、私の腕の中から抜け出し、立ち上がる。
「祐巳…ちゃん?」
突然の変化に驚いて私も立ち上がる。
帯に手を掛けながら、バッグの置いてある寝室へと足を向けた祐巳ちゃんに何故かギョッとする。
「…今日は、帰ります」
「え?」
どうして、と呟く私に祐巳ちゃんが帯を解きながら、ただ「帰る」と云う。
「祐巳ちゃん、ちょっと待ってって」
「帰る…んだってば…っ!」
思わず掴んだ手を振り払われた。
その時に見えた涙。
なんで?
どうして泣いてる?
何が泣かせた?
何故だろう…無性に、苛立つ。
ちっ…、と舌打ちして、その腕を掴んだ。
「きゃ…っ!」
寝室に入る寸前に掴んだ腕を荒く引いてソファに叩きつける様に戻す。
「な…にするんですか!」
キッ、と私を見る祐巳ちゃんの頬が濡れてる。
「…理由は…?」
ゆっくりと、ソファに近付いていく。
きっと、私の今の顔は暗い顔をしているに違いない。
「そんなもの…どうだっていいじゃないですか!」
負けない、という様な目で見る祐巳ちゃんに頭に血が昇っていくのを止められない。
それでも、まだブレーキを掛ける私が存在していて、落ち着け、と叫んでいる。
「良くない。良い訳無いじゃない」
きし、とソファに右膝を乗せる。
「理由、は?なんで帰るなんて云うの?」
「…っ」
祐巳ちゃんが、息を飲んだのが解った。
「…ああ、そっか…いいよ?してあげる、祐巳ちゃんの希望通りに。でも、止まらなくなっても、知らない」
「聖さま…!?」
荒々しく、頤を持ち上げると、私は唇を重ねた。
「…ん…っ!」
深く重ねて、舌を差し入れる。
初めての事に祐巳ちゃんの手が私の胸を押す。
狭い口内を逃げる舌を追い掛けて、絡めていく。
逃がさない。
「ふ…っ…んん…っ」
息継ぎがうまく出来ないのか、必死に逃れようとする祐巳ちゃんの舌をわざと力強く吸い上げて、次にその拘束を解く。
「はぁ…っ、んく」
唇が離れた隙に息継ぎをした祐巳ちゃんの唇を角度を変えて塞いだ。
その時、祐巳ちゃんの手が私の胸を叩いた。
弱々しい力。
小さなこぶしで、二回。
弱い力なのに、それは心臓に響いた。
「…や…」
思わず拘束を緩めた唇が少し離れて、声が洩れた。
「違う…っ」
祐巳ちゃんの声に私は唇を離した。
つい、と唇が糸を引く。
スッと、頭が冷えた。
トントン、と叩いたこぶしが開き、私のシャツを掴んだ。
「聖さま…やだ…っ」
◆
やだ…
嫌だ…こんな聖さまは嫌。
確かに、私は昨日の様なキスをして欲しいと云った。
でも、コレは違う。
暴力。
そう、今のキスは暴力だ。
「祐巳ちゃん…」
荒い息の中で、祐巳を呼ぶ。
その声色に、聖さまの顔を見る。
ああ…聖さまだ。
「よかった…聖さまだ…」
さっきの聖さまは、いつもの聖さまとは違っていた。
暗い目をした、聖さま。
暗い目をしていたって聖さまには変わりない。
でも、さっきの聖さまは、何かが違った。
…キスしてくれないのは、迷ってるからだ。
そう思って祐巳は帰ろうと思った。
別に『何か』して欲しいとか、そんなんじゃない。
ううん、聖さまが望んでくれるなら、祐巳だって嬉しい。
でも、何かに迷っているなら、いても無駄だって思ったから。
だから、帰ろうと思った。
そうしたら…
聖さまの目が翳っていた。
恐かった。
あの聖さまも今心配そうに祐巳を見てる聖さまも、聖さまに違いない。
でも…
「祐巳ちゃん…」
ごめん、と呟く聖さまに、祐巳は自分から口付けた。
今の聖さまなら、きちんと祐巳を見てる聖さまなら、恐くない。
「恐かった…聖さま…」
重ねた唇を離して、聖さまの目を見て、云う。
本当に、恐かったから。
あの聖さまに、望まれても、祐巳はきっと抵抗した。
祐巳を見ている様で、見ていない、そんな聖さまなら嫌だから。
「さっきの聖さまは、嫌です…私を見ていない聖さまは…」
泣きそうな顔をしている聖さま。
物凄く、後悔しているに違いない。
「ごめん…」
祐巳は、ゆっくりと聖さまの体に腕を回して抱きしめた。
◆
怯えた目をしていた祐巳ちゃんの目が、今は優しい目で私を見ていた。
そして、ゆっくりと私の体を抱きしめる。
「聖さま…御願いだから、私を見て下さい…もうさっきみたいな、あんなのは嫌です…」
シャツと、浴衣を通して伝わってくる温かさ。
何かが、私の中で解けていく。
「でも…さっきの聖さまも、間違いなく聖さまなんですよね…だから、本当の意味で嫌いにはなれません…だって聖さまだから」
あの私も、受け止めてくれる、というのか?
私は信じられない気持ちで祐巳ちゃんを見た。
「でも、さっきみたいな聖さまには何かされたいなんて思えませんから」
少し、目を逸らして云う。
確かに、あんな乱暴に扱われて嬉しい人間なんかいない。
「だから…キスして、下さい…聖さま。さっきみたいな痛いキスじゃなくて、昨日みたいな、優しいキスを…」
しっかりと私を見据えて云う祐巳ちゃんの目に、さっきと同じ様に迷いが無かった。
…私はどうしてあんなに迷ったんだろう。
祐巳ちゃんには迷いがなかったのに。
「…目、閉じてよ…そんな風に凝視されると、ちょっと照れる」
そう云うと、祐巳ちゃんはすっと目を閉じた。
ゆっくりと、唇を寄せていく。
軽く、唇に触れる。
まるで小鳥が何かをついばむ様に。
「…好きだよ、祐巳」
初めて、「ちゃん」を付けずに呼んでみた。
パッと、祐巳ちゃんが目を開いた。
視線が絡む。
それにも構わず、深く口付けた。
背中に回っている祐巳ちゃんの手が、ぴくん、と動いた。
そしてキュッとシャツを握る。
たったそんな事にも、眩暈がしそうな程の幸せを感じた。
それはさっきには、全く感じられなった事。
「…ん…」
鼻から、抜ける様な甘みを含んだ声。
してる事は、さっきと殆ど変わらないのに。
祐巳ちゃんの舌が、私の舌の動きに合わせるかの様におずおずと動く。
ああ、どうしようか…私。
濃厚なキスを交わしながら、考える。
ここから先へ進むか。
それともこの辺でお仕舞いにして、次回をお楽しみに、にするか。
でも、今の私はさっき程性急に求めてしまうような、焦燥が無い。
知ってしまった、幸福。
確かに、体を合わせる事は更なる幸福感に繋がるかもしれない。
でも。
今は口付けを交わしているだけで、充足感があった。
祐巳ちゃんは、どうなのかな。
私が、欲しい?
もし私を欲しいと云ってくれたら、きっと今の充足感は消え失せる。
そして新たな充足を求めて、祐巳ちゃんの肌を求めてしまうだろう。
ああでも、ずるいな、私は。
祐巳ちゃんに決めさせようとしている。
そっと、唇を離した。
…今はこの幸福感に浸っていよう。
私は祐巳ちゃんの体を抱きしめる。
だって、まだ夜は長いし?
明日だってあるしね。
幸いにも、明日も泊まってくれるらしいし。
ブラボー連休。
「…聖、さま…」
「何?」
祐巳ちゃんの体を少し離して顔を見る。
上気した頬が、艶かしい。
「好き」
「うん…好きだよ」
微笑んで云うと嬉しそうに胸に顔を埋めてくる。
大好き、なんかじゃ足りない。
でも軽々しく愛している、なんて云えない位のこの思い。
だから、精一杯の思いを込めて。
「…本当に、好きだよ」
幸福なんて、些細な事で感じる事も出来るんだ。
ただ、そこに、存在してくれるだけでも、幸せ。
…続いちゃう、かな?
後書き
執筆日:20040719
わははは!
なんですか?この甘々加減は!
シリアスのつもりだったのに!
体のライン越え行っちゃうつもりだったのに!
聖さまのいくじなしっ!
(いやほんとは私がいくじなしなんだろうな…)
でも、なんか性急に求め過ぎてしまうのもどうかなぁ…なんて思ってしまいまして…
でもまぁ、夜は長いし。
連休だし。
まだまだ時間はたっぷりよん?
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