香水
(聖祐巳)





目が覚めたら、大切な子が隣に眠っているという、幸せ。

しかも今回は、昼も夜も一緒にいられて、そしてまた朝を迎えられる。

初めての二泊。

まずは最初の夜。


さぁ何をしようか?

夜通し話をしようか。

それとも、一緒に映画でも見ようか。

…それとも





ベランダから見える花火を横目に夕飯を一緒に作って、一緒に食べて、一緒に片付けをして。
他愛の無い話をして、笑って。

さっきの濃密な時間を忘れたかの様に、穏やかに時間を過ごす。

「それじゃお風呂、戴きますね」
「んー、いってらっしゃい」

あの後、浴衣から着替えた彼女がお風呂セットを手にバスルームに消えて、私はひらひらと振っていた手を力なく下ろした。

「さて…と…」

どうしたものか。
これから。

私はソファにコロンと横になった。

あと、少なくても二、三時間後には眠る為にベッドに入る事になる。

いつもの、様に。

…さっきは、時間もまだ早かった。
夕飯前の時間だし。


まぁ…、本当にその気になったなら、時間なんて関係ないけれどねぇ?



でもまさか、初めてで、ソファの上で、なんてのはちょっと。

こう云っては何だけど、祐巳ちゃんだけじゃなく、自分自身だって初めてなんだし。

「…ちょっと位、ムードってモンも欲しいよね…」

それに相手は、なんと云っても祐巳ちゃんだ。
少し位、そういう事に気を使いたい。



…って、その気ですか?私

思わず自分の考えていた事に苦笑した。



さっき感じた、幸福感。
それは嘘じゃない。

唇を重ねる、それだけでも充たされた。
いとおしくて…苦しくなる。
そんな感じ…
そんな感覚はなかなか味わえるものじゃない。

けれど、人間っていう生き物は更なる『上』を求めてしまうものだって事を、今…まさに今、この身に感じている。

罪深く、浅ましい生き物。
それが『人間』だと、云ってしまえば身も蓋もないけれど。

フッ…と笑いを洩らす。

『人間』なんていう生き物がいなければいい。
このまま自然の中に溶け込んでしまいたい。

何度もそう思った事があった。

でも、昔も今も、私は『人間』で。
それなりに欲も深くなってしまっている。
この欲が邪魔をして、もう自然に溶け込むなんて出来はしないだろう。
…もっとも、今の私は『自然に溶けて、消えてしまいたい』なんて思わなくなったけれど。

そう思わせてくれるのは、出逢った人々。
栞やお姉さま、志摩子や蓉子…そして山百合会の仲間達。

そして何より、祐巳ちゃんがこの世界にはいるから。



だから、私は生きていく。

ちょっと大袈裟だろうけれど。







バスルームから出ると、聖さまがソファに横になって眠っていた。

…長いまつげ、白い肌、薄紅色の形の良い唇…

本当に、綺麗な人だと祐巳は思う。

寝顔が綺麗な人は本当に美しい人なのだと、以前誰かに聞いたか、何かで読んだ。

それを云うなら、聖さまは寝顔も起きている時も、美しい。

祐巳がまだ祥子さまのプティ・スールだった時、聖さまのその美しい顔とやっている事には違和感があった。

これでもかって位オヤジなセクハラまがいな事をされたけれど、今思うとあの接触は聖さまなりの距離の取り方だったんじゃないかって思う。

あんな風にする事で、一線を置いていたんじゃないかって。

…これは祐巳の憶測だから、解らないけれど。


「…聖さま、起きて」

本当はこのまま暫く寝顔を見ていたいけれど、何も云ってくれないのも寂しい。
ピタピタと、その滑らかな頬に触れる。

「…ん」
「起きて下さい、聖さま」
「…うん…起きる、から」

ふんわり、と目を開くと聖さまは前髪を掻きあげた。

「あ…」
「なぁに?」

んー、と腕を伸ばしながら祐巳を見る。

「さっきも思ったんですが、聖さま、香水つけてます?」
「香水…?ああ…」

ほんのちょっとだよ、と笑う。
ふわ…っと時折香るくらいの、控えめな香水の香りが上品だなって思った。

「ん?祐巳ちゃんもつけてみる?」
「ふぇ?」
「何、その『ふぇ?』ってのは…」

聖さまがクスクスと笑っている。

そりゃ、興味が無いかって云えば、嘘になるけど…
でも、なんだかちょっぴり気恥ずかしい。

それが顔に出たのか、聖さまはポンポン、と祐巳のまだ乾かしていない頭を撫でる。

「ま、後で試してみようよ。私もシャワー浴びて来るから…あ、ほら、お風呂上りにきちんと水分補給しなね」
「はぁい」

聖さまはバスルームに行き、祐巳はキッチンへと向う。
ミネラルウォーターをグラスに注いで、ゆっくりと飲む。

これは聖さまのお部屋でお泊りする様になってから身に付いた習慣。

今まではお風呂上りに何か飲み物を飲んではいたけれど、それはお茶だったりジュースだったり牛乳だったりと、その日の気分で決めていたから。

でも、お泊りしていて、聖さまがミネラルウォーターを飲んでいるからか、いつの間にか祐巳も同じになっていた。
…結構、聖さまと一緒に過ごす様になってから、身に付いた事とか、変わった事がある。

お風呂上りのミネラルウォーターもそのひとつ。
なんだか、そういうのがひとつふたつと増えていくのが、妙にくすぐったい。

聖さまも、そういう事ってあるのかな?
祐巳と一緒にいるから、するようになった事とか。

「…そういうの、あったらちょっと嬉しいかも…」

キッチンには、祐巳専用のマグカップ。
こういうのも、嬉しい。

聖さまの側に、祐巳の居場所がある。

それが、嬉しい。

こんな些細な事で幸せな気分になれる祐巳はゲンキンかもしれない。

でも、いいんだ。
嬉しいし、幸せだから。


寝室へ行き、バッグからタオルを取り出して髪をタオルドライしていると、何故だろう…急にベッドが気になりだした。

お泊りのたびに、一緒に眠るベッド。
ちょっと大きいサイズで、ふたりで眠っても余裕がある。

聖さまの顔を見ながら、夢の世界へといつも旅立ってしまう、幸せな時間。

なんだか、今日はそのベッドが気になる。

多分、あの時間が理由だと思う。

花火を見に行って、なんだか切なくなって早々に帰ってきた。
そして…

『キスして、下さい』

今思えば、よく云えた言葉だと思う。
顔から火が出そう。

でも、祐巳はあの時、聖さまのキスが欲しかった。
昨日の、雑木林の中での、キス。

『祐巳ちゃんしか知らない私をひとつ増やしてあげる』

そう云って、初めて深く口付けられた。

恥ずかしくて、でも、祐巳しか知らない聖さまが嬉しくて。

…その聖さまのキスが、欲しかった。

「…うわ…!」

恥ずかしくて、どうしようもなくなってきた。

早く聖さまがお風呂から戻って欲しい。
でも、今のこの恥ずかしい気持ちで聖さまの顔を見るのはちょっと…

「私…どうしちゃったんだろ…もう…」

「何が?」







声をかけたら「ひゃぁぁぁっ!」という声が返ってきて、思わず驚いた。

「せ、聖さま!」
「…さすがに今のは私も吃驚した…どうしたの」
「な、なんでもありませんっ!」

真っ赤な顔で云う祐巳ちゃんに、ほんのちょっぴり意地悪をしたくなって私は真面目な顔をした。

「祐巳ちゃん…」
「…え?」

急に表情を改めた私に祐巳ちゃんも思わず背筋を伸ばした。

「まさか、私の入浴シーンを想像していたりした…?」
「…へ?」
「まさか祐巳ちゃん…私の体が目当てだったのね…!」
「はいぃぃぃっ!?」

よよよ…とシナを作ってベッドに泣き崩れる真似をする私に祐巳ちゃんが真っ赤になって素っ頓狂な声をあげた。

「ななな、何云ってんですか!」
「あははは!ナイス反応!やっぱり祐巳ちゃんだねぇ」

本気で笑ってしまった私に、ちょっとプッと脹れた顔をする祐巳ちゃんがまた可愛い。

「知りません!」
「ごめんごめん…ああそうだ、ホラ、ちょっと香水つけてみようか」
「え?」

相変わらず、状況の急転に弱い。

香水という言葉に気を取られてさっきの怒りは何処へやら。

笑いたいのをちょっと我慢しながら、香水のボトルを手に取る。
そして、チョン、と指に落として耳の後ろに指を当てた。

「ひゃん」

冷たさに首を竦ませる祐巳ちゃんに苦笑する。

「冷たかったか、ごめんね。私はもう香りに慣れてるから顔近付けないと解らないけど、祐巳ちゃんは解る?香り」
「あ、はい…でも聖さまの香りと、ちょっと違いませんか?」
「香りは変化するから。だからだよ」

そう云うと祐巳ちゃんは「へぇ…」と云いながら首を横に動かしたりしている。

「聖さまと同じ香水なんですよね。でも、香水つけなくても、聖さまの側にいたら、香りが移っているんじゃないでしょうか」
「うーん、そうかもしれないね…。あ、そうだ」
「え…?うひゃっ!」

ガバッと祐巳ちゃんに覆い被さる。

「うひゃ、は無いでしょう、うひゃ、は…」
「だって急に…何するんですかっ」

んー?と私は祐巳ちゃんに抱きついたままで笑う。

「香水の香り。移してもらおうかと」
「な、何云ってんですか!」

いいじゃん減るもんじゃなしーというと祐巳ちゃんは居心地悪そうに身を捩る。

「せ、聖さま…離して…」
「…祐巳ちゃん?」

いつもと少し違う反応に私は体を離して祐巳ちゃんを見た。

「…祐巳、ちゃん?」

真っ赤になって、潤んだ目で私を見てる。

なんだ、一体…これはどうしたんだろう。

けれど祐巳ちゃんはパッと私から離れると、もう寝ますっとベッドにもぐり込もうとする。

「こら、まだ髪乾いてないでしょ?」

そう云って私は祐巳ちゃんの腕を掴んだ。

「…や……」

目を閉じて身を捩る。

ちょっと待て。
祐巳ちゃん、ほんとに急にどうした?
っていうより、何考えてた?

私がバスルームから出てきた時も、そういえばヤケに驚いていた。


「…祐巳ちゃん、もしかして……考えてた…?」
「な、何も考えてなんか…!」

ブンブンと頭を振って抗議する。
でも、説得力がない。

まずいな。
私も、そんな気分になってしまってるんだから。

掴んでいる腕を離すと、すっぽりとベッドに入り込む。

「こら…髪が乾いてないんだから…」

布団を剥ぐと、真っ赤な顔の祐巳ちゃんが現れた。

髪を撫でると、首を竦める。

「祐巳ちゃん?」
「…」

祐巳ちゃんが私から、ギュっと目を閉じたままで布団を奪おうとする。

「ほら、ダメだったら…もう」

私は痺れを切らした様にいう。

「いつまでもそんな事やってるなら、襲っちゃうよ?」

その言葉に、祐巳ちゃんの体がビクンと揺れた。

完全に、意識しているのが解る、その反応。


…これは参ったな…

これが私の正直な感想。

そりゃ、当然って云えば、当然。
意識しない訳がない。

ちょっとした諍いの後に訪れた優しい時間。
乱れた浴衣のまま、ソファの上で口付けを交わしたんだから。
しかも、濃厚な。

無意識に私の手は祐巳ちゃんの腰に回っていたし。
乱れた浴衣の合わせ目からは祐巳ちゃんの白い足が覗いていたし。
祐巳ちゃんの手は私のシャツを握っていたし。

よく、あの時先に進まなかったものだと思う。

あの時は、感じた事のない幸福感に包まれていたから。
だから、微笑み合えた。

でも、今は。

あの時間を…
あの時の幸福感を、知ってしまった今は。
更なる気持ちの上昇感を求めてしまう。

勿論、コレは私の気持ち。

でも、こんな反応を見せられたら…私だけじゃないんだって、思ってしまう。
祐巳ちゃんも同じなんだって、思ってしまう。


心臓が、痛い位に打っている。


「…祐巳ちゃん…どうしようか…」

ああ、ずるいな。
そう思いながらも、その言葉を口にした。







聖さまの目が、優しくて。
祐巳を見下ろす目が、痛い位に優しくて。

どうしていいのか、解らず…祐巳はただ見詰めている。

聖さまの手が、祐巳の両脇にある。

きし…とベッドが軋んで。
微かなはずのその音が、酷く耳にハッキリと聞こえて。

「どうしようか…」

聖さまが呟く。

どうしましょうか…

声にならない。
声が、出ない。

何故だろう、喉に何かが詰まった様な…そんな感じ。

何か、云わなきゃ。
でも声にならない。

云わなきゃ。
声なんて、出なくても。
『声』を伝える方法はいくらでもある。



だから、祐巳は聖さまを引き寄せた。








最初の一歩を踏み出すのは、とても勇気がいる事だ。


その一歩を祐巳ちゃんに踏み出させた私は、ずるい。

でも。
私は恐いんだ、今でも。

踏み出して、拒絶される悲しさを知っているから。
体が、未だに記憶している。

拒絶された悲しみに、私は自暴自棄になった。
成績は下がり、生徒指導室に呼び出されたり。

そして、結果的に全ては失われた。

私の手の中には、手がかじかむ程の寒さと、数枚の紙切れ、そして思い出だけが残った。



記憶は、時に凶器になる。

記憶だけで人ひとりを毀す事も出来るんじゃないかって思った事もある。

でも、その記憶を人は思い出に変化させる事が出来る。

その為には欠かせないものがある。

私の場合、それは仲間と、親友と…そして、いとおしい少女だった。




「ねぇ…祐巳ちゃん…知ってる…?」
「…何…ですか…?」
「香水ってね…体温の上昇で、香りが放たれるの」
「……」
「体温が高いと…ね…?同じ香水でも、香りが甘くなったり…印象が変わる…らしい」
「……」

うまく言葉が出せない祐巳ちゃんに、私はそう教えた。
祐巳ちゃんは何か言いたげに私を見詰めている。

私はあまり平熱が高い方ではないらしい。
だから、ほのかな香り立ちになるようだ。

今、私は自分がつけているのと同じ香水が、こんなに甘い香りを放つという事を初めて知った。
体温が高めだと、香りは甘くなると、何処かで聞いた事はあった。
それを今、私は祐巳ちゃんにつけた香水で確認したという事になる。

祐巳ちゃんは平熱が高めな感じがする。
でも今は、更に体温が上がっているから。

…その原因は、私なんだけどね。


「…香水って…不思議、なんです、ね…」

熱に潤んだ目で、息も絶え絶えに祐巳ちゃんが云う。

私は祐巳ちゃんの耳に顔を近付けた。

立ち上る、甘い香り。

汗ばむ素肌からはボディソープの香り。
髪からはシャンプーの香り。

どれも私と同じものの筈なのに、祐巳ちゃんから漂う香りは、何故か甘い。

「ふふ…」
「…何、です…か…っ」

笑う私に、苦しい息の中、ちょっと怒った様に云う祐巳ちゃんの胸に胸を重ねて、私は呟いた。


「祐巳ちゃんは、甘党だから…体も甘いのかもね…」


無意識に口元を押さえた祐巳ちゃんから、それに対する反論は無かった。

否、云えなかった。









「香水…」

祐巳ちゃんの呟きに、私は閉じていた目を開いた。

「…何?」
「ホントに私と香りが違うのか、今つけてみて下さい」
「へ?」

何を急に云い出すのやら。

っていうか、覚えていたんだ。
意識が半分飛んでたと思ったのに。

「私がつけても良いですか?」
「ああもう、解った解った。つけてみればいいんでしょ…でも、多分、いつもの私の香りじゃない筈だけど、それでもいいの?」

香水の瓶を手に迫ってくる祐巳ちゃんに、私は観念した様に瓶を受け取った。
私の言葉に、祐巳ちゃんは「何故ですか?」と首を傾げる。

「何故って…」

思わず、云うのを躊躇してしまう。
祐巳ちゃんは不思議そうだ。

仕方が無いなぁ、もう。

「あのね?」
「はい」

身を乗り出してくる祐巳ちゃんに、なんとなくまたイケナイ気持ちになってきた。

「私も今、体温が高いから」
「え?」

私は祐巳ちゃんの腕を引いて、ベッドに横たえた。
勿論、私の下に。



「解らないかな、祐巳ちゃんに夢中だったからだよ」





後書き

執筆日:20040720〜20040721

…すいません。
出直してきます…って感じ。

いや、もうモロ18禁描写はしないと宣言しましたでしょう?
私はモロ描写より、うっすらと漂うエロチシズムとチラリズムが好きです。
だがしかし、力不足。
ああもう、こんな表現しか出来ない自分が恨めしい…
『香水』をもっとうまく使えたら良いのに…!

香水の香り立ち云々について教授してくれた友人にこっぴどく叱られたいです…って私はマゾですか?

まぁとあるラインは越しました。
これで書く幅が少し広がるでしょうか。

宜しければ感想など戴けると嬉しいですが…なんかお叱りが多そうで恐い…うう。

next「確かなこと」 祐巳ver 聖ver


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