さよならのためのキス
-祐巳-



手のひらに収まる小さなものだけど

大きな意味を持っている事に…気付いてほしい







「聖さま、天気も良いですし、何処かに出掛けませんか?」

なんとなく『帰る為に部屋を出る』というのが嫌で。
それを察してくれたのか、出掛けませんか?と云った祐巳に、聖さまは二つ返事で応えてくれた。


…ホントは、ずっと二人きりで居たかったんだけど…
だって、今日で祐巳は家に帰らなくてはならないから…


連休最終日なのに、思っていた程、人も車も多くない。
ブランチは聖さまオススメのパスタが美味しいお店で済ませた。
パスタだけじゃなく、紅茶もデザートのケーキも美味しかった。
それを告げると、聖さまは「また来ようね」と嬉しそうに笑う。
そんな何気無いやり取りが、嬉しくて、でもちょっぴり寂しい。


「祐巳ちゃん、何処に行きたい?」

車に乗り込んで、聖さまが微笑む。
その笑顔が、太陽に負けない位眩しくて。
そんな事を思った自分が妙に気恥ずかしくて、祐巳はちょっと俯いてしまう。

「祐巳ちゃん?」
「…えっと…」

どうしたんだろう、ほんとに。

「ああ、急に聞かれても迷っちゃうか」

そう云いながら、聖さまは車を発進させる。

…聖さまは、いつもこんな風にさりげなく、助けてくれる。
それが嬉しくもあり、直ぐに応答出来ない自分が歯痒くもあった。

「ん?どした?」
「…いえ」

こんな時、もう少しハッキリと自分の意見が云える自分になりたい、そう思う。

「…海」
「え?」
「海…人が多いでしょうか」

ふと、思った。
ただ、海が見たいって。

「海…そうだね、海開きしちゃったし…」
「…そっか…そうですね」

誰もいない海に行きたい、そう思ったんだけど。
でもそんなのは、お話の中だけなのかも。
実際はそんなの有り得ないのかも。

海開きした海は人間イモ洗い状態になってるのがよくニュースで取り上げられてるし。

でも。
聖さまは何か考えた様にしている。

その顔を見ていると、急に何か思い立った様な、悪戯っ子の様な表情になった。
パッと、華やいだ様な、表情。
思わず見惚れてしまう程の良い表情。

「…よし。ちょっと走るけど、行こっか」
「へ?何処へ?」
「祐巳ちゃん…君は今自分で何処に行きたいって云ったか、もう忘れたのかね…海だよ、海」
「ああ、海…って、ええ!?」
「誰もいない海。ロマンティックじゃない…あ、その前にちょっと寄りたい処あるけど、いいかな」
「は、はぁ…」

今の時期に、『誰もいない海』なんて存在するのか、と思った。

でも…聖さまは嘘をつかない。



聖さまは、何店もお店や会社が入ったビルの立体駐車場に車を止めると「ちょっと行ってくる」と祐巳をその中のファンシーショップに置いて行ってしまった。
小走りに行っていまう聖さまの背中を見送って、祐巳は残されてちょっと困惑。
でもそのお店は祐巳好みな小物が沢山あって困惑も何処へやら。
思わず目移りしてしまう。
その中に、手のひらサイズのぬいぐるみがあって。
愛嬌のある大きな目に惹かれて、思わず微笑んでしまった。
しかも、手触りバツグン。
むにゅむにゅと揉んでしまう。

あれもこれもと見ているうちに、あっという間に時間が過ぎていて、祐巳の後ろに大判の封筒を持った聖さまが笑っていた。

「祐巳ちゃん、馴染んでる」
「聖さまっ」
「可愛いでしょ?祐巳ちゃんが好きそうだなぁと思ってたけど…こんなに馴染むとは」
「ほっといて下さいッ…って、聖さま?」

祐巳をそっちのけで、ご自分もキーホルダー漁ってるじゃないですか!

「ん?ああ、小さくて可愛いなぁと思って…祐巳ちゃんはどれが好み?部屋の鍵につけようかなと」
「へ?聖さまの部屋の鍵に、ですか?聖さまならもっとカッコいいのとか似合いそうなのに…」

そう云いながらも思わず物色していまう。

そして、目つきがクールな狼さんのキーホルダーを手に取った。
クールと云っても、やっぱり聖さまには可愛い感じ。

「これ…なんてどうです?」
「…狼って…祐巳ちゃん、そんなに私に襲ってほしい?」
「はぁ!?何云ってんですか!」
「顔色は正直よん?真っ赤」

じゃあこれにしよっと、なんて云いながら聖さまがレジに行く。

まったくもう、何云ってんだか。
祐巳は熱い頬を手で冷やしながら、もうひとつのレジへと向った。





車に乗り込むと、聖さまは手にしていた大判の封筒を見てフッと微笑んで、それを後部座席に置いた。
なんだろう、ちょっと気になる。

「内緒」
「へ?」
「封筒の中身。気になってるでしょ。百面相さん」
「う…」

どうして祐巳はこう顔に出るんだろう…
最近では以前よりは顔に出なくなってはきてるみたいだけど、でも聖さまの前では相変わらずみたいで。

それとも…聖さまだから、お見通しなんだろうか…

ちらり、と聖さまを窺う。
軽快に車を走らせている聖さま。

あ。
隣を並走している車の助手席のお姉さんが聖さまを見てる。

…彼氏の車に乗ってるお姉さんまで釘付けですか…

「ん?どうした?祐巳ちゃん」
「…隣の車のお姉さんが聖さまを見てます」
「隣?」

ふっ、と顔をそちらに向ける。
するとお姉さんは慌てて前方に目を向けた。

「なんじゃありゃ?」
「…なんでしょうね」

思わず溜息が出てしまう。
聖さま、素敵だもんね…当然か…








聖さまは、嘘をつかない。
そう云った。

「う、わぁ…」

祐巳は目の前に広がる景色に声を上げた。

「どう?ご所望の『誰もいない海』」
「どうして…」

信じられなくて、びっくりして、祐巳は聖さまの腕にしがみ付く。
それに聖さまは微笑んで祐巳の頭を撫でた。

「ここ、遊泳禁止なの。観賞用ってやつ。砂が侵食されてるとか何とかで保護されてるらしいよ」

人だらけの海だと、海の色もなんだか悲しい色をしているけど、ここの海の色は空よりも青い。

海の音が、なんだか嬉しい。
人の声もない。

「どした?祐巳ちゃん?」

聖さまにしがみつく手が、何故か震えている。

「…わかんない…」

どうしてしまったんだろう。


「…人間がいない世界って…こんなかもね…」

そう呟いた聖さまの胸に引き寄せられる。

「でも…この光景も、人間が保護しなきゃ保たれないくらい、人間の手が入っちゃったんだから、皮肉だよね」
「…聖さま…?」

なんだか、聖さまが泣いてるような気になって。
祐巳はさっきまで感じていた泣きたい気持ちが何処かへ行ってしまった。

「ん?」

どうした?という様に顔を覗き込まれる。
その顔には、涙が存在している筈もなく。
でも…祐巳には聖さまが泣いてる様に見えた。

「悲しいですか?」

思わず呟いてしまった言葉に聖さまが目を丸くした。

「どうして、どう思う?」
「…何故でしょう…私にも解りません」
「…そか…祐巳ちゃんがそう思うのなら、そうなのかもね…」

そう云うと、聖さまは笑顔を海へと向けた。


…青…

聖さまには『青』のイメージがある。

青。
空の青。
海の青。

青…蒼…

何故だか、聖さまがこの目に映る『青』に溶けてしまいそうに感じた。

だから、祐巳は聖さまの腕をしっかりと抱きしめた。


祐巳から、聖さまを連れて行かないで。


祐巳が来たいって云った、誰もいない海だけど。

海と空の青が、今は恐かった。







空と海が紅くなってきたのを機に、祐巳と聖さまは車に乗り込んだ。

これから、車を走らせて、街に帰る。

そして何処かで食事をしたら…帰らなくてはいけない時間だろう。


聖さまは、何も云わない。

車内には、あのCDの曲がエンドレスで流れている。

祐巳のバッグの中にも、同じCD。
聖さまが祐巳に、とCDを焼付けしてくれた。

聖さまのお部屋にいる時と同じ音楽が祐巳の部屋でも流せる。
それは嬉しい。

でも。
聖さまはそこにいない。

CDを聞く度に、祐巳は聖さまの腕を思いだす。
きっと。
それが悲しい。

だって、聖さまは傍にいないんだから。









食事を済ませて時計を見ると、もう直ぐ20時になろうという時間になっていた。

途中で少し、渋滞に巻き込まれてしまったせい。
でも、祐巳にはその時間も貴重だった。
…聖さまといられる時間だから。

いつの間にか渋滞も解消されて、スムーズになっていく道に祐巳は寂しさに押し潰されそうになる。

行き着く先は、祐巳の家。

いつもなら、温かい街並みが、正反対に思えてしまう自分が嫌だ。

大好きな家族。
大好きな、お父さんが設計した家。

大切なのに。
大好きなのに。

どうしてこんなに疎ましく思ってしまうんだろう…

そしてそう思う自分が物凄く、身勝手で最低に思えてしまう。

こんな気持ちは誰にも云えない。


「…祐巳ちゃん、このまま祐巳ちゃんちに行くけど、忘れ物とか、無い?」
「…ないです…」
「まぁあったとしても、構わないけどね」

祐巳の沈んだ声に、聖さまが苦笑い。

「…じゃ、行こうか」
「…はい…あ…」
「何?」
「…あの…リリアンの、裏門、行ってくれませんか?」
「…いいけど」

怪訝そうな聖さまに祐巳は俯いた。







ほんの十数分。

それ位で着いてしまった。

車を止めると、聖さまが不思議そうに「着いたけど…」という。

「聖さま…」
「何?」
「好きです」
「…祐巳ちゃん?」

ゆっくりと、祐巳から聖さまに近付いた。
触れるだけの、キス。

あの日。
はじめて…聖さまにキスをされた場所。

そこで、同じ車の中で、今度は祐巳から聖さまにキスをした。

「…祐巳、ちゃん」
「好きです…聖さま」

驚いた様な聖さま。

もう一度、聖さまに唇を寄せる。


ここで、祐巳と聖さまは始まったから。

だから。

この数日。
聖さまのお部屋でいろんな事があった。

物凄く貴重で、物凄く充実した時間だった。

だから…離れるのが、嫌。

でもそんな訳には行かないから。

だから。

あの時。
初めてキスしたこの場所に来て。
あの日気付いた気持ちを抱きしめて。

家に帰りたい。


「…祐巳ちゃん…好きだよ」


聖さまが、泣きそうな顔で笑った。












「じゃ、また明日」
「…はい、また、明日」

無理矢理に微笑むけど、でもやっぱり、泣きそうになってしまう。

車を降りようとした祐巳に「待って」と聖さまが引き止めた。
覚悟を決めたのに、引き止められるのは、ツライ。

「これ、あげる」
「…これ…?」

聖さまがポケットから光るものを取り出した。

「…鍵?」
「そう。私の部屋の鍵、ね。…いつでも、来ていいから。私がもしいなくても…部屋に入って待ってて」

キーホルダーが下げられている。
さっき買った、狼とは違う、アライグマ。

「子ダヌキは無かったから、それで勘弁」
「…聖さま…」
「何?気に入らない?」
「聖さま…っ」

ダメだ。
聖さまの、莫迦。

折角我慢していたものが、落ちる。



祐巳は、家の前だっていうのに、聖さまに口付けた。




「…じゃあ、明日」
「うん。また明日ね。おやすみ」
「はい、おやすみなさい」


お互いに、笑顔では無いけれど。

でも、それでも。

これが祐巳と聖さまらしいのかもしれない、そう思った。





後書き

執筆日:20040820


祐巳編、です。
ええ、聖さま編もあります。
書いてもいいですか?
ダメだって云われても書きますけど。

『さよならのためのキス』聖ver

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