早朝
(祐巳/
「パジャマ」祐巳side
※まずは「髪」からドウゾ






聖さまは、いつも優しい。
本当に優しくて、優しくて、時々祐巳は泣きそうになる。

どうしてそんなに優しいんだろう。
どうしてそんなに優しい声で祐巳を呼ぶんだろう。
どうしてそんなに優しい目で祐巳を見るんだろう。
どうしてそんなに優しく祐巳を抱きしめるんだろう。

でも、いつでも何かを我慢してる様に感じる。

我慢しなくていいのに。
祐巳を好きなら、我慢しなくていいのに。

聖さまが好きだから、我慢して欲しくないのに…






うっそでしょ!?

聖さまに解かれて結び跡がついた髪を直す為に聖さまの提案に乗ってお風呂に入って髪を洗おうと思った祐巳は、お風呂からあがったらパジャマに着替えてしまおうとバッグを開いたら…パジャマが無かった…

信じられない。
どうしてこんなミスをしてしまうんだろう…思わず自己嫌悪。

祥子さまが卒業されて、今年から祐巳がロサ・キネンシスになって、今ではちょっとはドジっぷりも落ち着いてきたかな…なんて自分でも思っていたのに…
やっぱり祐巳は祐巳って事なんだろうか…

だけど…

「どうしよう…取りに行くにも…」

ツインテールの縛り跡ばっちりのこの髪じゃ家までの距離がちょっと辛い。
聖さまなら家まで送ってくれるだろうけど…迷惑掛けたくない。

「ゆーみちゃん」

ああもう…ベッドの上に置くんじゃなくて、きちんとバッグに仕舞っておくんだった…

「祐巳ちゃんってば」
「聖さま…」

いつの間にか、聖さまが直ぐ側で祐巳の顔を覗き込んでいた。
苦笑いしてる顔を見て、また百面相していたのかもと、ちょっと恥ずかしくなった。
そんな祐巳の頭をわしわしと撫でてくれる。

「別にパジャマくらい忘れてきたって構わないって。Tシャツでもなんでも貸してあげるから」
「…へ?」

聖さまのその言葉に祐巳は思わず間の抜けた声を出してしまった。
聖さまから、借りる…?

「それとも…私のじゃ嫌?」

うわ!
目を細めて、祐巳から視線を逸らしてから、また祐巳を見た、その表情が凄く色っぽくて。
思わず祐巳はブンブンと首を横に振った。
こんな目で見られて、断れる人がいるならホント、お会いしたいものだ。

「嫌じゃないです!嫌じゃない…ですが…」

でも…

「…構わないですか…?」

どうしよう、なんか、嬉しい。
でも、ちょっと恥ずかしい。

聖さまのシャツ…
いつも祐巳を抱きしめてくれる、ちょっとだけ、祐巳より広い肩幅とか、胸とか…を考えると…

「もちろん。構わないよ?だからお風呂行っておいで。用意しておいてあげるから」

くるり、とキッチンの方を向いてサラリと聖さまは云う。

…聖さまにはなんでもない事なんだろうな…祐巳はドキドキしてるのに。

「…はい…」

後ろを向かれちゃったのも、寂しい…

早くこの髪をなんとかしなくちゃ…そう思って、お風呂へ行こうと立ち上がり掛けた。

「…処で、祐巳ちゃん。Tシャツと、こんな日の為に私がこの間見つけて買っておいたフリフリスケスケ祐巳ちゃん用ネグリジェと、どちらがいーい?」

…へ?
思わず中腰で止まってしまった。
何を云うんだ、この人!

「フリフリ…!?」
「そしてスケスケ。ねぇどっち?」

くるりと祐巳を振り返って、バッチンとウインクを投げてくる聖さまに祐巳は頬が熱くなったのを感じた。

「…!Tシャツがいいです…っ!」」

なんて人なんだ!
祐巳をからかって面白がっているに違いない!

これ以上紅い顔を見られるのもシャクだから、祐巳はバスルームへ駆け込んだ。

聖さまの莫迦っ

服を脱ぎながらも、頬の熱さが消えない。

絶対解ってない。
聖さまのちょっとした仕草で、祐巳がどれだけドキドキするかとか、全然!

頭からシャワーを浴びて、聖さまのシャンプーを手に取って、髪を洗っていく間も、きっと顔は赤いままに違いない。

でも、だんだん腹立たしい気持ちは薄れていく。
聖さまの髪から香るシャンプーの香りに包まれたからかもしれない。

いつもは持参してる小さいトラベル用の容器のシャンプーとコンディショナーとトリートメントを使っているけど、今日は慌てて駆け込んでしまったから、バッグの中から取り忘れてしまった。

だから、今日だけ、聖さまのを使わせてもらった。

祐巳の濡れて真っ直ぐになった髪から、聖さまと同じ香り。
こんな事でも、祐巳はドキドキしてる。

「…仕方ないよ。だって…」

…好きなんだもん…




バスルームから出ると、聖さまが置いてくれたTシャツが置いてあって。
祐巳はまたドキンと心臓が跳ね上がるのを感じた。

静まれ、心臓!

ちょっと大きめのTシャツに包まれて、祐巳はドキドキしている心臓を鎮める為に深呼吸をしてみる。

…一回くらいじゃ足りないか。

何度か繰り返すと、ようやくドキドキが治まってきた。

よし!

脱いだ服やら何やらを手にドアを開くと、ふわり、とクリームソースのちょっぴり甘い香りが祐巳を包んだ。

キッチンを見ると聖さまが手際よく用意を進めていた。
それを見ながらタオルで髪の水分を吸い取っていく。

トレイに出来上がった料理を乗せて、テーブルに運ぶと、祐巳と目が合った。

「聖さま、カッコいい」

そういうと、「そんな風におだてたって、もう何も出ないぞー」なんて云う。

「おだてるなんて…」

ホントにそう思うのに。
無駄の無い動きで、まるでコックさんみたい。

令さまもなんでもチャチャッとやっちゃう人みたいだったけど、聖さまはきっと令さまにも負けない気がする。

「はいはい。冷めちゃう前に食べてねー」

んもう!

「むー、聖さまの莫迦っ」


祐巳の云う事を軽く流してしまう所は変わらない。

…だからって、聞いてない訳じゃなく、きちんと聞いてくれてるんだけど。

でももう少しなぁ…
そんな風に考えながらもテーブルについて「いただきますっ」と云ってスプーンを持つ。

パクッとひと口。

「〜っ!」

…前言撤回。

「お味はいかが?」

聖さまがニッコリ笑って聞いてくる。
ああもう…ドキドキするんですってば!

「…とてもおいしいです」
「ありがと」

聖さま、大好き。




食事を終えて、後片付けをして。
それから月曜提出の数学の宿題プリントを聖さまに見てもらいながら片付けて、祐巳は毎週欠かさず見てるドラマを見る為にソファに座る聖さまの足元に腰を下ろした。
この位置が丁度TVが観やすい位置。

聖さまは「ソファに座ればいいのに」と云うけど、なんだか、落ち着くんだ。

…ホントは、別にドラマは見なくてもいいんだけど。
どうせ祐麒がビデオに録っておいてくれてるだろうから。
でも、こうしてぼんやりとしてる時間が、好きだったり。

何かをする訳でもなくて、ただ聖さまとこんな風に過ごす時間が。

時折、聖さまの手が祐巳の髪に触れてきたりする、優しい時間。


その時、何処からか音楽が聞こえてきて、少し愕いた。
…けど直ぐに、それが聖さまの携帯だと気付いた。

「…はい?」

落ち着いた、よそ行きの声。
でもそれは、祐巳の家にかけてくれる時の優等生な声じゃなく、ちょっとぞんざいな感じがするのは祐巳の気のせいなんだろうか…?

「ロサ・ギガン…?何それ」

まだ聖さまを薔薇さまの頃の様に呼ぶ人がいるらしい。
ちょっと聖さまの声が不機嫌そう…

…っと、いけない、聞き耳なんて立てちゃ。

でもドラマの方を見ていても、後ろの聖さまが気になって仕方が無い。

「で?何?……今から?」

遊びのお誘い、なのかな…
祐巳がちょこちょこお泊りするようになって、聖さまは当然の様に土曜日は空けてくれているけど、聖さまにだって付き合いってものがある。

…なんだか、申し訳ない気分になって、聖さまの足にほんの少し、寄り掛かって目を閉じた。

「…あー、悪い。また今度誘って」

パタン、と携帯を閉じる音。

思わず、それを聞いて祐巳の口から「…ごめんなさい」という言葉がこぼれ落ちた。

「なんで祐巳ちゃんが謝るの?」

ちょっと、不機嫌な声。
怒ってる…聖さま。

「…だって」
「だって何?」

聖さまが祐巳の顔を覗き込んでくる。
やっぱり、ちょっと怒った顔。

「…だって…」

祐巳が来てるから、お誘い断ったんでしょう?
聖さまにだって、友達との付き合いがあるのに、祐巳が聖さまの時間を貰ってるから…

云いたいけど、云えなくて、なんだかどうしようもなくなって来てしまう。

「…なーんちゃってー」
「!」

俯き掛けた顔をハッと上げる。
そこには苦笑した聖さまの顔。
仕方が無いなあ、と云ってるような、聖さまの顔。

「ほんっと祐巳ちゃんの百面相は相変わらずだねぇ」
「ぎゃっ!」

急に抱きしめられて、思わず聖さま云う所の「恐竜の子供の鳴き声」を久々に上げてしまった。

「お、久々〜」
「せ、聖さま!?」

ケラケラと聖さまが笑っている。
それを見ていたら、なんかもう、何でもいいやって気になってきた。


ひとしきり笑って、聖さまはやっと祐巳を解放してくれた。
ドラマはいつの間にか終わってしまってバラエティ番組に変わってしまっていて、間違いないっ!とか芸人さんが云ってる。

「さて、私もお風呂入ってくるかなーふふふ〜祐巳ちゃんの残り湯〜」


なんだかすっかりオヤジモードで、祐巳はちょっとガッカリした。




バラエティ番組が終わり、ニュース番組に切り替わった頃、聖さまがバスルームから髪を拭きながら出てきた。
そのままキッチンへ行って、ミネラルウォータをコップに注ぐと、それを手にソファに戻ってきた。

今日の出来事を流しているTVを髪を拭きながら見ている聖さまの足にちょっぴり寄り掛かる。
パジャマを通してふわり、とボディーソープの香りがした。

別に眠くは無いけど、目を閉じて寄り掛かっていると、落ち着く感じ。
でも、ちょっとだけ、心臓の鼓動が早くなっていく。

「…祐巳ちゃん、そろそろ休む?」

聖さまが優しい声で云う。

「…いえ…」

眠い訳じゃないけれど、聖さまから見ると眠そうに見えるのか「でも、眠いんでしょ?」と聞いてくる。

眠くなんて、ないのに。
こうしていたいのに。

「…嫌です」
「…祐巳ちゃん…?」
「もう少し…」
「ん?」
「もう少し、聖さまといたいです」

ほんの少しの我侭。
ほんの少しの勇気。

夜という、ゆったりと流れる時間を聖さまと過ごしたい。

「私といたい…って…いるでしょ?ベッドだって一緒だし」

はぁ…
聖さまの…莫迦…

「…いいです。解りました、寝ます」

絶対、はぐらかしてる。
そんな気がする。
だって、聖さまが解らない訳ない。

いつでも、祐巳の事は祐巳より解る人なんだから。
だからきっと、この祐巳の説明出来ない気持ちだって解ってるはずなんだから。

「ちょっと祐巳ちゃん?」
「…寝ますから、その代わりに今聖さまが着てるパジャマの上着、脱いで」
「…は?」

あ、聖さまのビックリ目。
ちょっと新鮮かも。

「私の着てるTシャツと交換して下さい」
「…どうしてって、聞いていい?」
「ただ、それを着て寝たいだけです…ダメですか?」

祐巳自身、どうしてこんな風に思うかなんて、解らない。
でも、聖さまに包まれたい。
そんな風に思ってしまうから。
これがどういう気持ちなのか、なんて祐巳には解らない。
でも。
今聖さまが着ているパジャマが欲しかった。

じっと見詰めている祐巳に、聖さまは手をあげて、降参、というように苦笑した。

「…解った、言う通りにしましょ」


溜息をつきながらパジャマのボタンを外していく聖さまに背を向けるようにベッドに座ってTシャツを脱いで聖さまの方へ置く。
すると「はい、御所望の上着」とポンと祐巳の方にパジャマが放られてくる。

聖さまはもう祐巳が着ていたTシャツを着ているようだ。

聖さまが今まで着ていたパジャマに袖を通して、ボタンを留めていく。
ふわり、と聖さまの香りがした。

「やっぱり、聖さまの香りがする…」

ちょっと嬉しくなって、微笑んでしまった。

やっぱりTシャツと違ってちょっと大きい。
袖口も少し折り返さなくちゃいけない。

聖さまが、少しこちらに近付いてきた。

切なそうな目を、祐巳に向けていて。
今にも泣き出しそうな目をして。

なんだか、祐巳はドキドキしてきてしまった。
こんな聖さまは見た事無い…かもしれない。

…ううん、前にも見た事がある。

前…確か、夜のリリアンの裏門の処で。
聖さまの車の中で話をした時。

初めて、聖さまとキスした、時。

あの時も聖さまはこんな目をして祐巳を見た。

聖さまの腕が、祐巳に伸びてくる。

「…聖さま…」

腕が、近付いてきて、祐巳は何故か解らないけど、ゆっくりと目を閉じた。

ふわ…っと、聖さまが祐巳を抱きしめる。

…あ。

聖さまの腕が、震えているのに気付いた。

どうして…?
何故震えてるの…?聖さま…

祐巳は聖さまの背中に腕をまわしてTシャツの背中を握った。

祐巳はここにいるよ。
聖さまの側にいるよ?

聖さまが、祐巳のこめかみにキスをくれる。
唇は、まぶた、頬へと滑っていく。

触れるか、触れないか、そんな感じ。

そして、そっと唇に触れた。

軽く、まるで羽根の様に。

その唇が、ゆっくりと祐巳の唇を塞いでいく。

…よく唇を重ねるって、云うけど…どうしよう…足が震える。

「…ん…っ」

ほんの少し、唇が離れて、角度を変えてまた重なってくる時、自然に声が洩れた。

…恥ずかしい…っ

聖さまの手が、さっき閉めたばかりのボタンを外していく。

聖さま…っ



『チャラララン♪』


ハッとして、顔を見合わせた。

「…あ」

携帯の、着信音?


聖さまが少し驚いた目で祐巳の目を見ている。

思わず、祐巳もぼんやりと見返してしまっていたけれど、ハッと我に返った。
途端に顔が赤くなるのが解った。

「あ、えっと、あ!そう、お水飲んできますね私!」

パタパタとキッチンへと駆け込んで、そこにしゃがみこんだ。

い、今の…何?

上から二つ、外れているボタンを震える手で留める。

ど、どうしよう…
どうしよう…!

もし、携帯が鳴らなかったら……

体に残る聖さまの温もり、抱きしめる腕の力。
そして、唇に残る甘い切なさ。




「…祐巳ちゃん」

ハッとして顔を上げると、泣き出しそうな、切なそうな、聖さまが立っていた。

「聖、さま」

顔が、熱い。

近付いてくるかと思ったのに、聖さまは一定の距離…そう、丁度歩幅二歩くらいの所に立っている。

「祐巳ちゃん、送っていくから、お家帰ろ?」
「聖さま?さっきの携帯に、何か?」
「ううん、違う。そんなんじゃない」

ゆっくりと首を横に振る聖さまに、祐巳は首を傾げた。

「そんなんじゃない…このまま祐巳ちゃんと一緒のベッドで、一緒になんて、眠れないから…」
「…え?」

何を云っているのか、解らず祐巳は聞き返す。
聖さまは、立っているのがやっと、という感じでそこにいる。

祐巳は聖さまに近付いていく。

「来ないで」
「聖さま…」
「来ちゃ、だめ」

泣き笑い、っていうのはきっと、こんな感じに違いない。

祐巳は聖さまの顔を見ながらそう確信した。

「どうしてですか!」

ドンッとぶつかる様に聖さまにしがみついていく祐巳の肩に、おずおずと聖さまは触れ、そして祐巳の体を引き離す。

「ダメだったらダメなんだってば…このままだと…私は祐巳ちゃんから一歩も引けなくなる…近付き過ぎて、壊しちゃう…」
「な…に云ってるんですか!聖さま!」

聖さまは、祐巳を見ない。

祐巳から目を逸らし続ける。

何を云っても、何を聞いても、ダメで。




今の聖さまには、何を云っても、ダメだって事だけが、解った。

「…解り、ました」
「…」

「でも、今晩は泊めて下さい。もううちの親も休んでますし、今帰ったら、心配します。だから」
「…解った」


先に休んで、と聖さまがソファに座る。
祐巳はベッドに潜り込んだ。

涙も出ない。

聖さまとの問答の間に思い出した事があった。

以前、聖さまが教えてくれた事。
聖さまのお姉さまが卒業される時に残して行ったという言葉。
その言葉が、聖さまを縛り付けている。
その言葉を、聖さまは、聖さまのお姉さまの思いとは別の意味で理解している。
きっと、そう。

「大切なものが出来たら、自分から一歩引きなさい…」

祐巳はその呪文の言葉をゆっくりとその唇に乗せた。



白々と明けていく空。
カーテンの隙間からそれを確認する。

結局、一睡も出来なかった。

聖さまも起きてる。

祐巳はゆっくりとベッドから抜け出した。

ソファには、腕を組んでいる聖さまが一点を見詰めて座っている。

「祐巳ちゃん…」

気付いて、こちらを見る。

どうして?
どうしてこんな事に?

あんなに、優しい時間を過ごしたのに。

初めて、あんな風に抱きしめてくれたのに。

本当に、好きなのに。

泣きたくなる程、好きなのに。




「…帰ります」



後書き

執筆日:20040707

七夕なのに、こんなラストですか、私。ちょっと待て。
「パジャマ」の祐巳verです。
あの聖さまverラストにはこんな展開が隠されてました。
あーあ。
やっちゃったーやっちゃったよ私。

この後、「タイ」へ行きます。
だから許して。

聖ver.「パジャマ
next 「タイ


MARIA's novel top